春季大会のコロナ辞退でノーシードから勝ち上がった興南が、沖縄の本土復帰50周年の節目に、甲子園出場全国一番乗りを飾った。3大会連続10度目の優勝を狙ったシード沖縄尚学に19年決勝のリベンジを果たして、18年以来13度目の夏全国切符をつかんだ。

コロナ禍、歓喜の輪もなく、選手は優勝を胸に刻んだ。我喜屋(がきや)優監督(72)は、コロナで苦労した世代に触れ「この2年、練習らしい練習ができなくて。コロナはあるし、梅雨も長かった」と、約1カ月の大会を振り返った。

投げては、背番号9の安座間竜玖(あざま・りく)投手(3年)が、監督が「球は速くないけど、落ち着いたピッチングだった」とたたえる5回1失点の力投。16日準決勝で149球を投じた最速147キロの鉄腕エース右腕、生盛亜勇太(せいもり・あゆた)投手(3年)も、監督が「どこかで投げる覚悟はしていた」という気合で6回から救援して、無失点で流れを渡さなかった。

打っては、3回1死一、二塁で、1番仲程雄海(なかほど・おうか)内野手(2年)が、初球の変化球をたたいて右前先制適時打。さらに、連打で2点を加えるなど、一気にたたみかけ5得点を挙げた。相手エースを3回途中で引きずり下ろした。5回に1点をかえされた。だが、勢いのまま6回にも、仲程の適時打などで2点を追加して、押し切った。

両チームの決勝は19年以来で、当時は延長13回の激闘の末、沖縄尚学が8-7で優勝。興南は宮城大弥投手(オリックス)の奮闘が報われなかった。だが、一丸でリベンジを果たした。

10年夏、沖縄県勢初の全国制覇を果たした興南が、節目の夏に聖地に挑む。

◆興南 1962年(昭37)に私立興南学園として創立。普通科のみで生徒数は1005人(女子375人)。野球部創部は62年で、部員数は119人(マネジャー1人)。甲子園は春4度、夏は13度目。優勝は春夏ともに10年の1度ずつ。主なOBは宮城大弥(オリックス)、大城滉二(オリックス)、島袋洋奨(ソフトバンク)、仲田幸司(阪神)具志堅用高(ボクシング元世界王者)ら。所在地は沖縄県那覇市古島1の7の1。我喜屋優校長。

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