大垣日大が終盤の逆転劇で市岐阜商を下し、5年ぶり6回目となる夏の甲子園出場を決めた。
大垣日大は、初回に高橋慎捕手(3年)の犠飛で先制。4回には市岐阜商に逆転を許したが、8回に高川莉玖(りく)内野手(2年)の左越え本塁打で追い付いた。
さらに3四球で2死満塁とすると、山田渓太投手(3年)が左前へ2点適時打。2点リードで迎えた最終回には、1点差に詰め寄られた後に1死一、二塁のピンチを迎えたが、エース山田が踏ん張って追加点を与えず、試合終了。岐阜の頂点に立った。
勝利の喜びの中で、79歳になる阪口慶三監督が選手から胴上げされた。「久しぶりだから気持ちいいね。もういっぺんやってもらいたいぐらい」。老将は満面の笑みで喜んだ。
今春センバツでは結果を残せず、「強くなって帰ってくる」と話をしていたが、この日は「強くなったでしょう」とチームの成長に胸を張った。
そのチーム力アップとともに、歴戦の経験が、勝負どころを見極めた。逆転した8回裏が始まる前、ベンチから出て、選手を座らせて指示を出した。目的を聞くと、「空気を変えたかったから」。最後は全員が息を吸って静まり、老将の「よっしゃ、いこう」の声で攻撃に入った。その直後に3点を挙げて逆転。この変化に米津煌太(こうた)内野手(3年)は、「今までやったことはなく、今回が初めてだった。勝負の流れを感じ、つくるのはすごいと思いました」と勝負師の仕事に舌を巻いた。
57年間にもわたって指導に携わりながら、熱意が落ちないのはなぜなのか。指揮官はその理由をこう話す。
「こういう年齢で、炎天下で子どもたちと一緒にやれるという喜び。野球はもちろん好きだけど、それだけでこれだけ長くはやっとらん。やっぱり子どもが好きなんだろうね」。野球を通して成長する選手たちの姿が、エネルギーとなっている。
今夏は、孫である4番捕手の高橋と出られる最後の甲子園になる。「孫と一緒に甲子園に行けるのは、本当にうれしい。勝ちが決まった時は、パッと頭に孫のことが浮かんだね。孫はかわいい」。春には2度ともにセンバツを戦ったが、夏の機会は最初で最後。「(監督を)甲子園に連れていきたかったので、本当にうれしいです」と高橋も喜びを隠さない。野球を離れた時には「食べ物をもらったりする」というやさしいおじいちゃんとの最後の戦いを、今から心待ちにする。
来月の聖地での戦いでは、歴代7位となる甲子園通算40勝と、最年長勝利記録更新も懸かるが、名将は「どっちも気にならん」とそっけない。それでも選手内では「阪口先生に40勝を」が合言葉。高橋は「まずは40勝目を絶対に勝ち取りたいし、その先もまだまだ自分たちの夏はが終わらないように勝っていきたいです」。リクエストのあった再度の胴上げは、甲子園の最終戦まで取っておくつもりのようだ。【永田淳】
◆大垣日大 1963年(昭38)に大垣高校として創立の私立校。89年から現校名。生徒数は1057人(うち女子523人)。野球部は創立と同時に創部され、部員43人(マネジャーなし)。甲子園出場は夏6回目、春は5回。主な卒業生は中日橋本侑樹、筑波大柔道部監督の岡田弘隆ら。大垣市林町6丁目5番地の2。古田健二校長。

