ヤクルト村上宗隆内野手(19)が中西太、清原和博の両氏を超えた。

まず5回の右前適時打で今季87打点目。53年中西(西鉄、86打点)を抜き、高卒2年目以内の最多打点記録をマークした。さらに6回には左翼席へ一時逆転となる32号3ラン。86年清原(西武、31本塁打)を抜き、10代選手として最多本塁打記録を打ち立てた。“燕のゴジラ”がついに10代の頂点に立った。

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劣勢を一気にひっくり返した。1点差に迫った6回2死一、二塁。村上は広島の左腕中村恭の初球137キロ外角スライダーを狙った。左手でバットを強く押し込み、打球をレフト方向へはじき返すと「何とか入ってくれ、入れなくてもいいんで、何とかヒットになってくれ」と念じながら走った。するとボールはぎりぎりでスタンドイン。動画等でしか見たことのない清原を超える逆転32号3ランに、思わずこん身のガッツポーズも飛び出した。

直前の5回にも別の記録を更新していた。2死二塁の好機で大瀬良の137キロカットボールを右前へ運んだ。二塁走者雄平がホームイン。クロスプレーだったため広島ベンチからリクエストが出されたが、判定は覆らずにそのままセーフ。これで今季87打点目が確定し、中西氏の記録を上回った。

熊本東シニアでの中学時代からレフト方向へ強い打球を飛ばしていた。当時のグラウンドは右翼ポールまで約85メートルあり、その先にチームが所有する小屋、そして民家があった。ライトフェンスには高さ約13メートルの防球ネットも設置されていたが大飛球が民家の方向へ飛ばないよう同シニアの吉本幸夫監督は「向こう(レフト方向)に打て」と指導。その時、身に付けた打法がプロ入り後、さらに開花した形だ。

打点の記録を抜いた中西氏はかつてヤクルトで岩村明憲に、何ごとも苦しむことがいしずえとなるとして「何苦楚(なにくそ)」の教えを伝授した。今も同球場に足を運んでくれ、村上もアドバイスをもらってきた。「僕を気にかけてくれて、いろいろと教えてくださって。その気持ち、声をかけてくれることがうれしい」。怪童と呼ばれた中西氏への、最高の恩返しとなった。【千葉修宏】