日本野球機構(NPB)の元審判員で審判技術指導員を務める渡田均(わたりだ・ひとし)氏が6日、肺腺がんのため死去した。62歳だった。

告別式は13日午後1時から東京・八王子市のこすもす斎場で行われる。喪主は妻幸子さん。

大体大を卒業し、82年に入局した。85年4月18日のヤクルト-広島戦(神宮)で左翼線審として初出場。15年まで通算2778試合に出場し、日本シリーズと球宴は各5度の出場を果たした。09年の第2回WBCでは塁審を務めた。

谷繁元信氏(日刊スポーツ評論家)は現役時代に渡田氏とともに多数の試合に出場し、人柄に触れていた。「謙虚で腰の低い方だった。年下の私にも『谷繁君、今のはね…』と物腰柔らかかった。常に平常心。怒ったところや、声を荒らげたところを見たことがない。審判も人間なので個性が強い人がいるが、いい意味でクセのない人だった。印象に残っているジャッジがない。それだけ正確性も高かったのだと思います」と、しのんだ。