甲子園は怖くない-。阪神及川雅貴投手(19)が、先発として1軍デビューを果たす。

19年ドラフト3位で横浜(神奈川)から入団。1年目の昨季はウエスタン・リーグ9試合で2勝4敗とステップを踏み、いよいよプロ野球の1軍の試合で聖地のマウンドへ向かう。

高校時代は春夏通算3度、甲子園に出場した。最後の試合は19年センバツの1回戦、明豊(大分)戦だった。3回に下位打線への連続四球から崩れ、そこから5失点でKOされた。

制球の粗さは大会前から指摘され、晴れ舞台でも露呈した。選考委員会の選考理由の中にも「及川投手」と個人名が入るほどで、優勝候補の一角とされた。大船渡・佐々木、星稜・奥川、創志学園・西と並んで「BIG4」と呼ばれた。佐々木も一時期、携帯電話の待ち受け画面を及川の写真にして、強いライバル心を抱いていたほど。それだけに、周囲から逆風も決して小さくなかった。

試合後には「安定感の無さ、制球力の無さ、自分の実力不足。全てにおいて、1からやり直しです」と背筋を伸ばして誠実に答えたが、心は傷んでいた。

5月になって、横浜高長浜グラウンドの一室で、リベンジを期す及川とひざを交えた。

夏の甲子園への思いは。「やり返したいです」と言った。でも、周りに気を配れる心優しい青年である。表情もそこまで強くなかった。「戻ることへの怖さは?」と尋ねた。「いや、正直、やっぱり甲子園には行きたいですけれど、甲子園に戻って投げるのがやっぱりちょっと怖いなっていう気持ちも、少しあります」と苦笑いした。

最後の夏は神奈川大会で敗れ、甲子園には戻れなかった。大船渡・佐々木と同じ日に敗れたが、まさかプロで甲子園に戻るとは。阪神は、5月ごろから急速に及川の練習試合視察を増やしていた。ドラフトの夜、取材先の大船渡市内からお祝いのメールをした。「怖い」の言葉がずっと引っかかっていた。「ありがとうございます! 一生懸命頑張ります!」。朗らかな笑顔が浮かぶ返信が、その夜のうちに戻ってきた。【19年高校野球担当=金子真仁】