佐藤輝が役者界にもいた! 日刊スポーツの第2火曜日特別企画(猛虎スペシャル)の今回は「猛虎リポート」で、ドラフト1位佐藤輝明内野手(22)へ、名前の読みが同じ俳優佐藤輝(76=本名佐藤輝昭、オフィス天童)からのエールをお届けします。舞台経験4000回以上のミュージカル界の鉄人が、“長寿の秘訣(ひけつ)”を紹介。共演者で歌舞伎俳優の松本幸四郎(現2代目松本白鸚=78)から得た学びを通し、一流の生き様を伝えました。【取材・構成=中野椋】

役者人生半世紀を超す大ベテランでも、その瞬間は興奮を抑え切れなかった。俳優の佐藤輝が、阪神佐藤輝を知ったのは昨年10月26日のドラフト会議。連呼される名前が、まさかの自分と同じものだった。

「テレビをつけたら『さとうてるあき』と4球団から1位指名されていたので『ウワァー!!』と興奮しました。名前を呼んでくれていた子どもの頃からの友人も、思い出してくれているだろうなと。それを思うと佐藤輝明選手の大活躍は、自分のことのようにうれしいです」

本名は佐藤輝昭。漢字は「あき」の1字が違うだけで読み方は同じ。さらに5人の男兄弟の名前は全員に、「輝」がついているというから、日本を代表する“佐藤輝一家”だ。

「実家の電話に出た時は、『テルは家にいる?』とみんなが聞くんです。『どのテルですか?』ってね。(阪神佐藤輝の活躍は)運命的ですよね」

1965年(昭40)の初舞台から23年。88年に映画「母」で長男役を務めたことから、芸名を「佐藤輝」に変えたという。

「今まで佐藤家では(男の兄弟で)一番下。長男役は今までの佐藤輝昭を切り捨てないとやれないんじゃないかと。独立して、兄弟からも離れて存在しようと。覚悟のもと佐藤輝になりました」

不退転の覚悟があったから、「自分の名前を忘れかけていたくらい」と語る。だからこそ、虎のスターの出現に、感謝が募る。

「『てるあき』というのは、もう、役所に届けに行くときぐらいじゃないと思い出さない。本名を思い返すきっかけになりました」

95年から出演したミュージカル「ラ・マンチャの男」では、松本幸四郎(現2代目松本白鸚)が演じるドン・キホーテの従僕役、サンチョを熱演。08年の帝国劇場公演で、同役484回の日本最多出演を記録した。最も近いところで、松本幸四郎の生き様を見てきた。

「サンチョ役で出してもらった時点で、幸四郎さんは600回以上ドンキホーテを演じていた。あるレベルをキープして追い続ける執念が、すさまじい。佐藤輝明選手にも、その執念を持ってほしいですよね」

大きなけがや病気もなく、4000以上もの舞台を踏んできた。ミュージカル界の鉄人は、虎のルーキーに息の長い活躍を願う。

「毎日が舞台の初日という気持ちでやってきましたけど、人生も毎日が初日なんです。前向きで自分の理想を求めていく。遊び心を持って、そういうことが長く続ける上で大事かな」

山形県庄内町で育った幼少期は、ラジオで巨人戦しか流れていなかった。これからはもちろん、阪神佐藤輝を応援していく。

「自分の道はこれだ、あそこに希望の星がある、輝いているというものを持って。あの目が見ている先は場外ホームラン。それは間違いないでしょ。自分が目指すものへ、レベルアップできれば道が開ける。フレーフレー テール!」

ミュージカル界の大ベテランは、本塁打量産の“佐藤輝ミュージカル”の開演を心待ちにしている。

◆佐藤輝(さとうてる)本名は佐藤輝昭(てるあき)。1945年(昭20)3月10日、山形県余目町(現庄内町)生まれ。兄の学生時代の演劇を見て興味を持ち、酒田東高卒業後、劇団俳優小劇場に所属。65年に「畸型児(きけいじ)」で初舞台。主な出演作は、95年「ラ・マンチャの男」、99年「子午線の祀り」、08年「おしん」。大河ドラマには「元禄繚乱」など4作品に出演。アニメ「ドカベン」では山岡鉄司役で声優を務めた。趣味は俳句、写真、旅行、料理。山形県酒田市の観光大使「酒田北前大使」を務める。次回出演は10月22日から、東京・神楽坂のライブハウス「THEGLEE」で藤沢周平作「春秋山伏記」。155センチ、54キロ。

◆「ラ・マンチャの男」 セルバンテスの小説「ドン・キホーテ」をもとにしたミュージカル作品。1965年にブロードウェイ初演。翌年のトニー賞ではミュージカル作品賞を含む計5部門を受賞。日本では69年の初演より松本白鸚が主演し、翌70年にはブロードウェイでも公演。19年10月には上演回数1300回を達成した。

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