ロッテ森遼大朗投手(22)の願いがかなった。育成契約での4年間を終え、9日、球団と支配下選手契約を結んだ。背番号62の新しいユニホームに袖を通した。「あまり実感はないというか、今までと何も変わらないというのが一番ですかね」。いつものように、落ち着いて話した。

宮崎の都城で育った。高校も地元の都城商。1学年上の都城高のエース、山本由伸投手(現オリックス)とも投げ合ったことがある。「コールド負けました。すごかったです」。打者として二塁打を打ったのが、けっこう自慢だ。

高校3年夏に左ひざを故障し、完治しないまま秋を迎えた。大学進学の選択肢もある中で、ロッテから育成ドラフト2位で指名を受けた。「環境が良くてトレーナーさんもいるし、大学に行くよりは集中してできるかな」と思った。「大学に行ってたら、野球続けてたかも、正直分からないですし」。

支配下選手と比べれば、雇用は不安定に映る。もちろん、周囲にいろいろな意見があった。両親の思いも察していた。

「正直、あんまり前向きなふうには思っていなかったんじゃないかなと思ってて。大学行ってからでもいいんじゃないか、というふうにも言われたこともありましたし」

それでも18歳は思いを訴えた。気持ちを貫いた。

「自分のわがままでというか、そういう厳しい世界だというふうに分かって飛び込んだんで。今日、こうやって支配下登録されて良かったなと思います」

鹿児島との県境にもほど近い、のどかな街での少年時代。「野球中継ですか? それなりには見ていました」という。入団後も1軍の試合はずっと見ていた。来年からは自分がそこに映る。「テレビの中でしか分からないこともあるんだろうな、とか思いながら。そこで投げるイメージを完全にはまだつかめていないところもあります」。

想像できないこともたくさんあるけれど、舞台に立つ権利を得られたことはやっぱりうれしい。「来年からいいスタートを切って、そういう場所で投げられるように頑張りたいです」。しみじみ話しながら「一番は、両親に伝えたいです」と優しい顔をした。【金子真仁】