日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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かつて巨人から“江川事件”で阪神に移籍した小林繁は「巨人にあって、阪神にないものがある。巨人には歴史と伝統がある。でも阪神には歴史はあるが、伝統がない」と語りかけたという。

巨人は長嶋茂雄に「終身名誉監督」の肩書を授けて象徴的な存在として位置づけている。中日は毎年欠かさず“フォークの神様”杉下茂を春季キャンプに招き入れて直接指導を仰ぐのが恒例行事だ。プロ野球界を支えてきた自負をもつ球団からは功労者に対してのリスペクトが伝わってくる。阪神では前に横文字の肩書で大物OBにアドバイザー的役割を与えたかと思ったら、いつの間にか消滅した。

「日本一監督の吉田義男さんに称号を差し上げてはいかがですか?」と提言すると、阪神首脳から「うちは〇〇派、〇〇派っていわれるから難しい」という始末であきれたものだ。

阪神は21年に野村克也の追悼試合を開催した。外部招請に至った経緯はさておき、3年連続最下位で再建できなかった。追悼試合を実現させたことに異論はない。だがそれなら野村に続いて21年に鬼籍に入った、生え抜きで名三塁手で知られた三宅秀史も何らかの形で追悼してほしかった。それは複数OBから挙がった声でもあったからだ。

吉田との三遊間コンビは、巨人監督の水原茂から「三宅は長嶋より上」と評価される。阪神の三塁手といえば「三宅か、掛布か」といわれたその人は、冥土に行くまで遠方から古巣を気にかけた。元祖鉄人としてプロ野球記録の700試合連続フルイニング出場を抜いた金本知憲に敬意を表し、鳥谷敬の連続出場を見守り、自身の汗と涙がしみこんだポジションに立つ大山悠輔に心からのアドバイスを送り続けた。

「時代だから」で片付ける人もいる。いつの世も時代の変遷とともに価値観は変わっていくが、時が変わっても、それでも変えずに引き継がれなければならないものがある。

ここからの後半戦は、退任する矢野燿大が指揮をとりながら、一方で本社、球団は“ポスト矢野”の新体制を固めた上で、その意向をくみながらチーム作りを並行する難しいかじ取りを強いられる。

果たしてファンが望んでいる「勝てる監督」は登場するのか。6月に必要性を論じたGMは、サラリーマン的発想でない内外問わず顔利きの“必殺仕事人”が理想だ。そして、なによりオーナー、監督の代が一新されても、伝統は継承されなければならない。

本社、球団は、その歴史を彩り、伝統をつむいできた“重鎮”に意見を求めるべきだろう。吉田義男、安藤統男、藤田平らの大物OBに接し、阪神の在り方について耳を傾けても決して無駄にはならない。(敬称略)