西武中村剛也内野手(39)がプロ野球史上初となる通算2000三振に到達。大阪桐蔭時代の同期でもある元阪神岩田稔氏(39)が、高校時代の思い出を振り返った。

 

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岩田氏いわく、大阪桐蔭時代の中村剛也は「三振しない大砲」だった。それだけに高校3年夏の記憶が今も忘れられないそうだ。

府大会の決勝。高校通算83本塁打を誇っていた中村は上宮太子の1年生左腕・田村和也に3打数無安打2三振3四球と封じられた。絶対的4番を抑え込まれ、チームは延長11回の激闘に敗れた。

「1年生投手にインハイを攻められて三振する姿を見て、あのタケヤが三振するなんて…と。当時はそれぐらいコンタクトがうまくて三振が珍しい選手でした。そんな選手がプロで三振記録を塗り替えるのだから、すごいですよね。きっとプロで生きる道を模索し続けた結果、三振を恐れず飛距離を伸ばす道を選んだのでしょうね」

岩田氏は阪神一筋の現役16年間を終えた後、対戦した中での最強打者に必ず中村剛也の名前をあげていた。どれだけ三振の数を増やしていても、恐怖を消し去ることはできなかった。

「タケヤは泳がされない、必ずといっていいぐらい自分のタイミングで振ってくるし、そのスタイルがブレない。ちょっとでも甘く入ったらホームランを打たれてしまう、本当に怖い打者でした。2000三振…本当にすごい記録だと思います。ずっと試合に出てホームランを打ち続けてきたから到達できた数字。格好いいですよね」

日本球界では前人未到の通算2000三振。「偉業」を成し遂げた同期の存在に、岩田氏はどこか誇らしげだった。【佐井陽介】