大リーガーが見た「名将」とは…。「関西シリーズ」の激闘を終えたオリックス中嶋聡監督(54)と日本ハム時代にともにプレーし、今も慕うパドレスのダルビッシュ有(37)が、日刊スポーツのオンラインインタビューに応じ「監督・中嶋聡」について語った。日米でさまざまな監督のもとでプレーしてきたダルビッシュの言葉で、3年連続日本シリーズに導いた指揮官の姿を2回連載でひもとく。【取材・構成=磯綾乃】

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ダルビッシュの脳裏には、今も12年前のワンシーンが焼き付いている。「中嶋さんが本気で怒ったことが、1回だけあって…」。11年、日本最後のシーズンは、大野奨太とバッテリーを組んでいた。長年女房役だった鶴岡慎也がケガで離脱していたためだが、5月下旬に復帰。梨田監督に呼ばれ、どちらと組むかと問われた。

「ずっと何年も組んできたので、復帰するんやったら鶴岡さんが普通なんじゃないかということを監督に言ったんです」。試合前の福岡・ヤフードーム(現ペイペイドーム)のファウルゾーン。当時兼任コーチだった中嶋監督が、すごいけんまくで近づいてきた。「なんでお前、ツルなんや! こんなに奨太頑張ってきたのに、なんでお前そんなことするんや!」。ダルビッシュは筋を通した上での選択だったが、中嶋監督の親心が分かった。

「中嶋さんは、大野という若い次のチームの柱になる捕手が一本立ちするというところで、当時1番手やった自分がそうしたのが、許せなかったんじゃないかと。そういうことが1回ありました。すごく選手思いなところがあるなと感じました」

実績のあるエースにも関係なし。若い才能に寄り添う信念は、初めて会った時から一緒だった。高卒で入団し18歳のダルビッシュに対し、中嶋監督は2倍の36歳。「当時こわい先輩方がいたんですけど、中嶋さんは厳しい中にもすごく優しさがあって。若手をみんな助けてくれました」。愛のある厳しさで正しい方向へと導いてくれた。

「最初の1、2年目って自分、そんなに一生懸命練習しているタイプじゃなかったんです。一応出されたメニューをやるんですけど、うまいこと抜きながらやるタイプだった。度がすぎると『お前ちゃんと練習やってないやんけ』『ちゃんとやってんのか』みたいに言ってくれました」

決してダルビッシュだけが特別だったわけではない。1軍の主力も2軍でくすぶる投手も、分け隔てなく平等に気遣った。「中嶋さんのことを嫌いって言う人は絶対いなかった。みんなが中嶋さんのことを慕っていました。包容力というか。試合中以外の部分でのピッチャーの心のケアがすごくうまかったですね」。年功序列、厳しい上下関係が普通だった当時、中嶋監督の姿は珍しかった。トレンドにも敏感で、若手の話に積極的に耳を傾けた。

「かなり若い世代のはやっていることを、ベテランの方が冷たい目で見る雰囲気ってあったんです。中嶋さんは単純に興味を持って、否定的じゃないという姿勢がすごく伝わる。だから、若手との距離も近づきやすいんだろうなって思っていました」

それは監督になっても変わらないことを今春、WBCをともに戦ったオリックスの選手たちを通して知った。「監督ってやっぱり好かれるのはすごく難しいんですよ。でも近年の監督は現場に理解があって、特に中嶋さんに関しては、みんな『すごくやりやすいです』ということは言っていました」。再び連絡を取り合うようになると、WBC後も中嶋監督らしい声が届いた。「シーズン中も宇田川君のことを言っていました。2軍に行ってちょっと良くなかったんですよね。その時に『宇田川がちょっと苦しんでるから』と言っていました。『もどかしい』みたいに。(返信は)『そのうち良くなりますよ』ぐらいだったと思います」

3連投させないなどグラウンド内外で「選手第一」を貫いて、常勝軍団を作り上げた。「どんどん選手ファーストになっていくと思う。アメリカがそうなっていきましたし。いろいろ言われることもあると思うんですけど、自分はそういうやり方はすごく好きですね」。日米でたくさんの指揮官を見てきたダルビッシュの目に「中嶋監督」はどう映るのか-。「僕は言いたくないですけどもう…名監督と言わざるをえないんじゃないですか(笑い)。ほんとは言いたくないですよ、中嶋さんには言わないでほしいんですけど…(笑い)」。きっと18歳の時から変わらない、ちゃめっ気のある笑顔で「名将」をたたえた。(後編に続く)

◆中嶋聡(なかじま・さとし)1969年(昭44)3月27日生まれ、秋田県出身。鷹巣農林から捕手として86年ドラフト3位で阪急入団。97年オフにメジャー挑戦を表明したが条件が合わず、FAで西武移籍。03年に横浜、04年に日本ハム移籍。46歳の15年に現役引退。実働29年は工藤公康、山本昌に並ぶプロ野球記録。通算1550試合、804安打、55本塁打、349打点、打率2割3分2厘。ベストナイン、ゴールデングラブ賞各1度。16年から日本ハムのGM特別補佐としてパドレスに派遣され、18年に1軍コーチ復帰。19年からオリックス2軍監督。20年8月、西村監督の辞任後に監督代行。21年から正式に監督となった。22年正力賞。

◆ダルビッシュ有(ゆう)1986年(昭61)8月16日生まれ、大阪府出身。東北2年春から4季連続甲子園に出場し、2年夏準優勝、3年春の熊本工戦ではノーヒットノーランを達成。04年ドラフト1巡目で日本ハム入団。最優秀防御率2度、最多奪三振3度、リーグMVP2度、07年沢村賞。08年北京五輪代表。09、23年WBCで世界一メンバーとなる。11年オフにポスティングシステムによりレンジャーズに移籍。以後17年途中にドジャース、18年カブス、21年パドレスへそれぞれ移籍。13年最多奪三振、カブス時代の20年に日本選手初の最多勝。196センチ、99キロ。右投げ右打ち。