DeNAドラフト1位の度会隆輝外野手(21=ENEOS)と日刊スポーツ評論家の宮本慎也氏(53)が、“親子”対談を行った。宮本氏は度会の父博文氏(51)とヤクルト時代にチームメートで、次男の隆輝とも幼少期から交流。高校時代にドラフト指名漏れからはい上がった姿を称賛しながら、長距離砲への期待、2000安打へのすべなど熱いトークを繰り広げた。前後編でお届けします。【取材・構成=小島信行、久保賢吾、小早川宗一郎】

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宮本氏は青年へと成長した度会を優しいまなざしで迎えながら、すぐにプロの先輩の目線に変わった。

宮本氏 体重は何キロ?

度会 83キロの予定です。

宮本氏 いやいや、予定じゃなくて。

度会 ご飯食べた後だったらそれくらいです。

宮本氏 まだ細いなぁ。お父さんは肉食で遠征で3日飯に行ったら、全部肉やから。すし入れる? って聞いても、「肉でお願いします」って(笑い)。

度会 父が大変、お世話になってます。

対談開始2分で和やかな空気に包まれた。宮本氏は「高校の時に指名漏れして、1位じゃなきゃ取れない選手になったのはすごいよ」と称賛した上で長距離砲への期待を寄せた。

宮本氏 22年の都市対抗で本塁打を4本打ったし、やっぱり30発打てるような選手になってほしいなと。ちまちま振っても、とびきり足は速くないでしょ?

度会 最近、ちょっと速くなってきたんです。一塁到達タイムとかは。

宮本氏 極端に言えば、一塁到達は遅いくらいでいいんだよ。

度会 どうしてですか?

宮本氏 それだけバットを振ってるってことやんか。タイムばっかり気にして、ポンと打って、パッと走るって癖がつくと長打が打てなくなるから。

度会 なるほど、そうですね。

宮本氏 特に、右投げ左打ちでちょっと足が速いって言われる人は、そういうふうになっちゃうから。隆輝は本塁打を打てる力があるんだから、求めてほしいね。走るのを忘れてたぐらい、振り切るってね。

選手としてのスケールの大きさを認めるがゆえの願い。「あまり言いすぎたら、怒られるな」と苦笑した宮本氏に、度会が踏み込んだ質問を投げかけた。

度会 宮本さんは25歳からプレーされて、2000安打を達成されたじゃないですか。高卒や大卒でも少ない中でどうすれば2000本も打てるんですか?

宮本氏 俺も入った時はきゃしゃで、劣等感というか、この体じゃプロで通用しないなと。だから試合に出ながら、トレーニングに重きを置いて。やっぱり若い時にどれだけ頑張れるか。試合出ててもトレーニングできる部分は継続しないと。しんどいけどね。

度会 そうですよね…。

宮本氏 最初は休む時とやる時の見極めってわからないけど、経験していけばわかってくる。技術はもちろん大事だけど、結局プロは体力勝負だからね。お酒は飲むの?

度会 お酒は飲まないです。あまり飲みたいってならないですね。

宮本氏 お父さんはよく飲んでたね。

度会 お父さんはめっちゃ好きですね。

宮本氏 話はそれたけど、やっぱり体がすごく大事なんで、トレーニングとケア、あとは継続する力がどれだけあるか。

度会 そこは本当に大事ですよね。

宮本氏 おそらく隆輝も「このスタイルで勝負したい」って思い描いてるものがあるだろうけど、勝負しにいって、壁にぶち当たった時にどう変化するか。「俺はこんなもんじゃない」、「俺はこうだから」じゃなくて、変化する勇気というか、「こういうスタイルにしてみよう」、「こういう練習をしてみよう」とかっていうのは、変幻自在にできるようにした方がいい。凝り固まらない芯はすごく大事なんだけど、いろんな人の話を聞いた上で取捨選択していけば、長くできると思うよ。

度会は目を輝かせながら、深くうなずいた。2人の記憶をたどれば「高校2年か3年の時以来」となる再会は、さらに踏み込んだ話へと移った。(つづく)

◆宮本氏と度会父 度会の父博文さんは中央学院大から93年ドラフト3位、宮本氏はプリンスホテルから94年ドラフト2位でヤクルト入団。博文さんは5年目の98年に1軍で初出場しており、両者ともに1軍でプレーしたのは98~08年までの11シーズン。この間、若松監督の01年にチームが日本一。野村監督の98年には2人同時スタメンが33試合あった。

◆度会隆輝(わたらい・りゅうき)2002年(平14)10月4日、千葉県生まれ。3歳で野球を始める。横浜高では1年夏から2季連続で甲子園出場。卒業後は社会人野球のENEOSに進み、1年目からレギュラーで活躍。2年目の都市対抗では9年ぶりの優勝に貢献し、野手では史上初めて橋戸賞、若獅子賞、打撃賞の3冠に輝いた。183センチ、83キロ。右投げ左打ち。家族は両親と兄。