野球殿堂博物館は18日、今年の殿堂入りメンバーを発表した。プレーヤー表彰では広島、ドジャース、ヤンキース投手で日米通算203勝、現在は広島の球団アドバイザーを務める黒田博樹氏(48)が選ばれた。横浜(現DeNA)、中日捕手でプロ野球史上最多3021試合出場、通算2108安打、中日で監督も務めた谷繁元信氏(53=日刊スポーツ評論家)も選ばれた。特別表彰では元審判員の谷村友一氏(享年94)。エキスパート表彰は選出がなかった。

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資格を有して3年目での選出に、元広島の黒田球団アドバイザーはやや驚きを含んだ喜びの言葉を口にした。「本当に今までの野球人生を振り返っても、自分が選ばれていいのかなというのが一番の感想です」。上宮では控え投手。専大から逆指名で広島に入団しても、4年目までは思うような結果を残せなかった。弱肉強食のプロ野球界。「生きるか死ぬか」と覚悟し、変わることを受け入れた。

この日、ゲストスピーチとして同席した山本氏が監督に就任した01年が転機となった。「先発投手、そしてエースとしての心構え、責任…たくさんのものをマウンドで学ばせてもらいました」。対戦相手と距離を取り、登板2日前にはチーム関係者すら近づきがたいオーラを放つようになった。「100%の自信を持ってマウンドに上がりたいけど毎試合、不安の方が大きい。勘違いすると痛い目に遭う。痛い目に遭いたくないがための防衛本能だったかもしれない」。同年初めて2桁勝利をマークした。

2年連続で任された04年の開幕投手では7回途中8失点。ベンチ裏で涙し、帰りの新幹線車内で自ら動作解析の施設に直接電話した。その後もシュートを習得するなど球種を増やした。低迷期のチームで闘志むき出しの姿勢を貫き、ファンを熱狂させた。大リーグ移籍1年目にはマダックスからツーシームを学び、新たなスタイルを確立。「吸収できるものは吸収していこうとする貪欲さがプラスになったと思います」。謙虚さ、貪欲さは最後まで変わらなかった。

高額オファーを蹴って復帰した広島では16年に25年ぶりのリーグ優勝を成し遂げた。キャリアを重ねても、誰からも愛される人柄も変わらなかった。チームメートと笑い合い、報道陣を笑わせ、ファンサービスを惜しまない。変わり続けて手にした功績と、貫いたことで手にした栄光によって、新たに日本球史にその名を刻んだ。【前原淳】

◆黒田博樹(くろだ・ひろき)1975年(昭50)2月10日生まれ、大阪府出身。上宮-専大を経て96年ドラフト2位で広島入団。05年最多勝、ベストナイン、ゴールデングラブ賞。06年最優秀防御率。07年オフにFAでドジャース入団。12年からヤンキースに移り、大リーグ通算79勝は野茂英雄、ダルビッシュ有に次いで日本人3位。40歳の15年に広島に電撃復帰し、2年連続2桁勝利。16年には野茂に次いで2人目の日米通算200勝。チームの25年ぶりのリーグ優勝に貢献し、同年限りで現役引退。背番号15は永久欠番に。現在は広島の球団アドバイザー。父一博氏(故人)も南海などでプレーしたプロ野球選手。右投げ右打ち。