俳優伊東四朗(89)が率いて2004年(平16)に誕生した「伊東四朗一座」が、東京・浅草公会堂でよみがえる。旗揚げ解散公演と、翌05年の急遽再結成公演を映像で上映。オリジナルメンバーである三宅裕司(75)東貴博(56)と共にトークショーで当時を、そして今の熱海五郎一座につながる軌跡を振り返る。21歳で芸能界に飛び込み、70年に及ぼうとする“喜劇役者伊東四朗”について聞いてみた。【小谷野俊哉】

- 「伊東さんが今できる精いっぱいの動きを見せてください」。30歳も年の離れたカメラマンのむちゃぶりに嫌な顔ひとつせず元気な姿を見せてくれた伊東四朗。最後にお見送りまでしていただき、今はただ恐縮しております。(撮影・小沢裕)
★納得サブタイトル
「伊東四朗一座リターンズ!? in浅草公会堂」は今月31日に04年の「旗揚げ解散公演~喜劇熱海迷宮事件」、来月9日に翌05年の「急遽再結成公演~喜劇芸人誕生物語」を上映、トークショーが行われる。伊東が当時を振り返る。
「いまだによくわかんない。大体、私は積極的に動いたってことはないんですよ、全く。私の一座を作るって言われた時も『何それ』って言ったぐらいだから。結局、納得できるようなサブタイトルつけてくれたんで。じゃあ、やってみようかってなったぐらいで。大体、私は頭に立つ人間じゃないと思ってますんでね」
★「旗揚げ解散公演」
納得できるサブタイトルとは「旗揚げ解散公演」だった。
「てことは、1カ月やったら、以降はやんなくてもいいってことなんだ。『そういうことです』って言うから、1回やってみようかって。じくじたるものがあるのは、すぐに1年後にやったっていう」
それが今も続いている。伊東四朗一座は、三宅裕司が座長を引き継いで「熱海五郎一座」になり、場所も14年から新橋演舞場になって続いている。
「演舞場の最初の年に見に行った時、観光バスがずらっと並んでてね。もうびっくりしましたね。涙ぐんじゃいましたよ。今もやってますから、いつもうれしい限りだなと思って見てますね。見に行くたびに、ワクワクしますね」
「伊東四朗一座リターンズ!?」では、伊東四朗一座旗揚げの時から参加している、三宅と東とのトークショーも。伊東四朗座長の「伊東四朗一座」が、三宅裕司座長の「熱海五郎一座」になっても、そのスピリットは変わらない。
「いや、うれしいですね。東京の喜劇をつないでいってくれてるっていうことですから。東京のにおいがぷんぷん。とにかく長く東京軽演劇を続けていってもらいたいと思っています」
04年の「旗揚げ解散公演」は、東京・下北沢の本多劇場だった。伊東本人の強い希望で、若者文化の中心地で東京軽演劇を始めた。翌年は、東京・池袋のサンシャイン劇場。
「最初が本多劇場。キャパとかね、そういうものも含めて、あのくらいがちょうどいいなって常々思ってたんです。見に行くたびにお客さんの様子も見ながら、こういうとこでやれたらいいなと思ってましたんで。それで、翌年は池袋のサンシャイン劇場」
子供の頃は役者になりたいとは思っていなかった。
「なりたいと思ったことは、1回もない。でも、見るのは好きだった。15歳離れた一番上の兄貴が劇団をやってましたから。戦争から復員してきて、素人劇団を立ち上げた。自分で脚本を書いて、子役が欲しいって言って、12歳の私を引っ張り出した」
中学まで疎開先の掛川で過ごし、東京に戻った。
「こっち帰ってきて、浅草に通った。高校を卒業して、早稲田大学の生協で牛乳を売ったりする仕事をしながら浅草や新宿の劇場に通った。呼び止められて楽屋に入り浸った。それでも、この世界に入ろうっていう気はなかった。ただ通っているうちに(劇団『笑う仲間』の)石井均さんに『やってみるか』って言われて、気持ちが動いた。『今日、出てけ』って言われて、舞台にいきなり出たのがきっかけでしたね」
★人気トリオ1人に
仲間には、てんぷくトリオを組むことになる戸塚睦夫がいた。
「戸塚は、新宿のフランス座に石井均さんと一緒に出てた。おとなしい人でした。それで、戸塚は三波伸介と2人で、夜はキャバレーに仕事に行ってたの。それで三波さんが出られない時に、私が“偽三波伸介”になってやっていた。そんな時に三波がいなくなって、大阪でおとぼけガイズっていうトリオを組んでいたんだけど、けんか別れして東京に戻って来た。じゃあ3人でやろうかねって、これが始まりですね。最初はぐうたらトリオだったけど、62年にてんぷくトリオに改名した」
てんぷくトリオはお茶の間の人気者になった。だが、73年に戸塚が42歳、82年に三波が52歳で早過ぎる死を迎えて、1人になってしまった。
「疎外感っていうかな、そんな感じでしたよ。私は大体、頭に立つ人間じゃないって、何度も言ってますね。余計、なんか空疎でしたね、とても。でも、そんな時になんか救ってくれる人ってのはいる。役者も最初は、NHKの大河ドラマ『天と地と』に呼ばれた。みんなに反対されても、意地になって呼んでくれた人がいたんです」
★何でもできなきゃ
83年には空前の大ブームを巻き起こしたNHKテレビ小説「おしん」で主人公の父親を演じた。平均視聴率は52・6%、最高視聴率62・9%だった。
年を経るに従って、テレビの中の面白い人だった伊東が、コワモテ、シリアスな俳優として評価されるようになった。
「なんでもできるのが役者だと、思っていましたんで。ええ、怖い役だろうが、ハチャメチャな役だろうが、嫌だと思ったことはないです。特に軽演劇の役者っていうのは、なんでもできなきゃいけないって思ってましたんでね」
★テレビ黎明期から
テレビの黎明(れいめい)期からバラエティー、ドラマで活躍。デビューから70年近い年月が流れた。
「あんまり振り返ってみたことはない。でも必ずいつでも、こう必死になってる自分がいた。いつまでもプロになりきれてないっていう思いが、自分の中にあったんですよ。何の訓練もしないで、この世界に入っちゃったから」
その思いが、90歳を来年に控えても、役者伊東四朗を成長させ続けている。
▼舞台制作の白石千江男氏
今回の2作品は舞台を収録して、WOWOWでその後に放送されました。その映像の権利を主催した伊東四朗さんの所属事務所と三宅裕司さんの所属事務所が持っていました。当時、DVDでも発売したのですが、それは個人で楽しむもの。喜劇は、映像であっても、そこに集って一緒に見るところに良さがあると思います。DVDも発売から20年くらい経ちますから、それがかえって今は新鮮だと思います。当時はテープに収録されたものをデジタルにして、プロジェクター上映で大きな映像で楽しんでいただけます。
◆伊東四朗(いとう・しろう)
1937年(昭12)6月15日、東京・下谷(現台東区)生まれ。58年に劇団「笑う仲間」研究生。59年「石井均一座」。61年に三波伸介、戸塚睦夫とぐうたらトリオ結成。62年、てんぷくトリオに改名。69年NHK大河「天と地と」。73年、戸塚が死去。76~78年に電線マンでベンジャミン伊東。82年、三波が死去。83年、NHKテレビ小説「おしん」。94~99年NHK「コメディーお江戸でござる」。97年に文化放送「親父・熱愛」開始。97~07年、日本テレビ「伊東家の食卓」。166センチ。血液型O。







