「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」などの作品で世界的な人気を誇った、漫画家の鳥山明さん(とりやま・あきら=本名同じ)が急性硬膜下血腫で1日に急逝した。68歳だった。

作品を連載した「週刊少年ジャンプ」出版元の集英社と鳥山さんの事務所「バード・スタジオ」などが8日、発表した。葬儀は近親者のみで執り行った。漫画を文化にまで昇華させた巨匠の死に、世界各国から悲しみの声があふれた。

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8日正午、鳥山さんの訃報に列島に激震が走った。鳥山さんの「バード・スタジオ」と作品の総合プロデュースを担当する「カプセルコーポレーション・トーキョー」は連名で「突然のご報告になりますが、漫画家・鳥山明は2024年3月1日、急性硬膜下血腫により永眠しました。68歳でした」と連名で死を公表した。

漫画、一部の出版関係者の間で鳥山さんが2月末に転倒して救急搬送されたとの情報が流れている。急性硬膜下血腫は、外傷により脳の表面の血管から出血した血液が頭蓋骨の下で脳を覆う硬膜と脳の間にたまり、脳を強く圧迫することからも符合する点がある。昨年に体調を崩したとの声もあり情報は錯綜(さくそう)している。

鳥山さんは、愛知県立起工業高(現県立一宮起工科高)でデザインを学び、マンガ研究同好会会長も務めていたという。卒業後、デザイン会社に就職し広告イラストを描いていたが、方向性の違いから23歳の誕生日の78年4月5日に漫画を描き始めた。「週刊少年ジャンプ」の新人賞「月例ヤングジャンプ賞」投稿を機に、同12月に同誌に掲載された「ワンダーアイランド」で漫画家デビューした。

その名を一躍、世に知らしめたのが80年に連載を開始した「Dr.スランプ」だ。科学者の則巻千兵衛が作った、かわいい見た目とは裏腹の怪力を誇るロボットのアラレちゃんら個性的なキャラがペンギン村で和気あいあいと過ごす日常を描いた物語が受けた。

84年5月に「Dr.スランプ」の連載を終了し、同年11月から連載を開始した「ドラゴンボール」で人気は不動のものになった。孫悟空が7つ集めるとどんな願いもかなう「ドラゴンボール」を探す冒険譚(たん)は、ブルマら魅力的なキャラが世界中で愛され、10年半の連載での累計発行部数2億6000万部超に上った。人気ゲームシリーズ「ドラゴンクエスト」のキャラクターデザインも86年の第1作から手がけた。

訃報の中で「熱心に取りかかっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはず」と触れられたが、最も愛した作品「SAND LAND」(00年)の新作アニメ、ゲームに関しての記者会見が今月4日に都内で開かれていた。描き下ろしイラストを寄せ「『ドラゴンボール』というやや派手な作品の反動もあって、短編や読み切りはどれも、好みである小さな世界とゆるいヒーローのなんでもない地味で平和な話ばかりを描いてきました。地味好きな僕では実現しなかったであろうドラマチックな展開は新鮮な驚き」などと意欲的なコメントも寄せていた。

【まとめ】鳥山明さん死去、各界で巻き起こる悼む声 英BBC「史上最も影響力ある漫画」