能登町復興応援特命大使を務める演歌歌手石川さゆり(68)が、石川・同町のやなぎだ植物公園で開催された「ござれ祭り」で行ったフリーライブを同行取材した。
同県を訪れたのは、入社して配属された営業部の接待で同行した片山津温泉以来で、恐らく二十数年ぶり2度目。当時北陸新幹線はなく、小松空港に降り立ったと記憶している。北陸新幹線も、金沢も、能登町も初体験。この年になっても“初”は心のどこかにワクワクがある。だが、おじさん記者にはかなりキツい行程だった。金沢まで約3時間、そして金沢から会場までは車で約2時間。腰とお尻が大変なことになっていた。
同町を能登半島地震が襲ったのは24年1月。のと里山海道沿いにはまだまだ震災の爪痕が残っていた。震災の影響から、同道の一部では速度制限。また、道路脇の山は崩れ落ちたまま、木も倒れたままで、至る所に復興作業の重機が止まっていた。
また能登町に着くと、2年たった今でもブルーシートがあちこちで確認できた。石川は「それでもだいぶ減っています」としつつも、「ブルーシートとともに取り壊しとなった建物もあります」と、まるで町民のように説明してくれた。77年、19歳の時にシングル「能登半島」をリリース。能登町とはそれ以来の縁で、プライベートで何度も訪問していたという。能登半島地震を受け、応援大使に就任した。自身のコンサートでは募金箱を設置。集まった募金は「歌届け」として能登町を訪れ、歌とともに地元に役立つよう、必ず自らの手で渡している。
今年は「小中学生のやりたいことに使って欲しい」との思いから、町役場を通じて町内5つの小中学校へ「何をしたいか」のアイデアを募集したという。「夏休みになってしまったので、まだ決まっていないんです」と明かしたが、まさに“目に見える支援活動”を目指している。
そんな石川の故郷・熊本を7月末、最大震度7の地震が再び襲った。「まだ帰っていない。帰りたくても帰れない。帰れる状況ではないです」とポツリ。「車中泊をしているとか、10年前に聞いたことがまた起きている。本当に心配です」と漏らした。フリーライブでは能登の復興を祈りつつ、熊本へのエールを呼びかけ「火の国へ」を歌った。
石川の言葉で感銘を受けたのが、「復興という言葉は美しい言葉のようですが、まだまだ日常ではないということです」。まさに、その通りだ。人口約1万3000人の能登町内には、いまだ仮設住宅住まいの被災者が約1000人いるという。そして、前記の通り、各地の爪痕も残ったままだ。
石川は「歌い手としてできることは、皆さんに少しでも笑顔を届けること。そして、全国各地に伝えること」とした。記者として、笑顔を届けられるかは分からないが、伝えることはできるはず。このコラムで、2年たった現状が少しでも伝わればと思う。【川田和博】



