元フジテレビの名物プロデューサー横沢彪(よこざわ・たけし)さんが8日午後8時ごろ、肺炎のため都内の病院で亡くなっていたことが9日、分かった。73歳。フジテレビ「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも!」など数々のヒット番組を手掛け、バラエティー界に旋風を巻き起こした。関係者によると、横沢さんは05年に悪性リンパ腫と診断されて一時は入院して闘病生活を送っていたという。ここ数年は抗がん剤などの治療を続けていたことから、元気な姿を見せていた。

 関係者によると、横沢さんは05年に医師から悪性リンパ腫との診断を受け、当初は入院して治療を受けていた。しかし、最近では、定期的に通院できるまで体調が回復し、日常生活にも大きな問題がなかったという。ただ、亡くなる数日前から肺炎をこじらせ、状態は悪化していたという。

 昨年9月にはNHK「爆笑問題のニッポンの教養」にも出演し元気な姿を見せていた。太田光、田中裕二との対談で「これからはバラエティーとかいう枠を崩すこと」「何でもとにかく進出していくのが一番いいと思います。だからニュースキャスターでもやりなさいよ」と2人にアドバイスもしていた。

 横沢さんは「笑っていいとも!」「オレたちひょうきん族」など、数多くの人気番組を手掛け、視聴率低迷気味だった同局を立て直した。「オレたちひょうきん族」では、番組内の人気コーナー「ひょうきん懺悔(ざんげ)室」で神父役として自らテレビにも出演していた。タモリやビートたけし、明石家さんまらの人気上昇にも貢献し、昭和のバラエティー番組の礎を築いた。

 横沢さんは、95年に同局を退職し、吉本興業に入社した。東京支社長や専務などを歴任し、05年6月に退任。退局後は他局の報道番組に出演し「視聴率を気にしない環境でやってみたかった」とも話していた。

 吉本を去った後は、インターネットサイトJ-CASTで、コラムを担当。昨年12月30日まで、「横沢彪のチャンネルGメン∞」というタイトルの連載を掲載し、体調不良を感じさせない様子を示していた。最後のコラムでは「一生懸命笑わせようとしている人より、出てくるだけでOKという人たちの方がウケちゃうんだから、つらいですよ。でも、それはお笑いの方のレベルというか、力量が落ちているということでもあるんですがね…」と愛のムチのような言葉も記されている。

 横沢さんの都内の自宅では深夜まで明かりがともっていたが、家族が対応することはなかった。

 ◆横沢彪(よこざわ・たけし)1937年(昭12)12月15日、群馬県前橋市生まれ。東大文学部卒。62年4月フジテレビ入社。制作局に配属され、67年ディレクターに。事業局、サンケイ新聞出版局出向などを経て74年10月にフジテレビ制作現場に復帰。「スター千一夜」「THE

 MANZAI」「笑ってる場合ですよ!」「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも!」などを手掛けた。90年レコード会社「ヴァージン・ジャパン」の社長も兼任し、その後分離独立した「メディア・レモラス」の社長に。94年11月退任後、95年1月フジテレビを退社し、吉本興業入社。東京支社長に就任し、常務、専務を歴任し、05年6月に退任した。

 [2011年1月10日8時25分

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