日本代表が今のようにサッカーワールドカップ(W杯)に出場する前のことです。1980年代から90年代前半にかけて、まだヨーロッパサッカーが今のように簡単に見ることができない時代で、ヨーロッパサッカーを見るためにはテレビ東京で放送されていた「三菱ダイヤモンドサッカー」という番組で、アーセナルの試合が編集されたものが前半で1回、後半で1回と放送されていたころ私は世界を熱狂の渦に巻き込んでいたサッカーに触れるきっかけがあり興味を持ちました。その時代はまだピッチ上の11人選手の中で外国人選手は3人でした。代表例としてあげておきたいのが当時のセリエAで大活躍したACミランのオランダ3人トリオに、インテル3人ドイツトリオ。背景には1993年11月1日のマーストリヒト条約発効によってEU(ヨーロッパ連合)が誕生したことなどがありましたが、決定的な判決は1995年のボスマン判決です。ベルギーでプレーしていたジャン=マルク・ボスマン選手が、一連の移籍手続きの中で上手くことが運ばず、所属がフリーになってしまったことを発端にヨーロッパサッカー連盟(UEFA)を相手取って裁判を起こしたものです。


・クラブとの契約が完全に終了した選手の所有権を、クラブは主張できない(つまり契約が終了した時点で移籍が自由化される)事の確認

・EU域内であれば、EU加盟国籍所有者の就労は制限されないとしたEUの労働規約を、プロサッカー選手にも適用するべきである


この訴訟は当初、どの関係者からも賛同を得ることができず、非常に厳しいものと見られていました。しかし結果的にはボスマン側の勝訴に終わり、上述の2点の要求は完全に認められた形となりました

これが何を生み出し方というと、クラブ側にとってはそれまで行われていた移籍金によるビジネスを行うことは難しくなりました(それまではクラブとの契約終了後も前所属クラブに移籍金を支払っていた)。現在では、5年という長期間の契約を結んでいても、残った契約を買い取ってもらう形で実質的な移籍金的なものを得ているやりかたになっていたり、逆に選手側の立場としては移籍のハードルを低くするために長期の契約を結ばないといった選手も出てきていたりします。

一方で、EU域内の選手保有制限がなくなったことを受けて、EU内のビッグネームの選手をかき集めることも可能になり、選手の流動化、リーグのマネーゲーム化、国際化が急激に加速することになったということも起きました。 結果的に今ではEU内であれば国籍関係なく移籍することができるようになった訳ですが、今年のイングランドプレミアリーグの開幕戦を見て、目を見開きました。ウォルバー・ハンプトンのスタメンは11人のうち10名がポルトガル国籍の選手でした。ルールの中でのことなので問題はありませんが、ここまでくるともうポルトガルのチームがイングランドプレミアリーグで試合しているようなものです。2016年のことですがポルトガル代表はEURO(ヨーロッパ選手権)を制覇し、イングランド代表は鳴かず飛ばずの決勝ラウンド1回戦負けという状況となってしっています。リーグと代表で「歪み」が発生している状況と言えると思います。こう言った歪みはTVの放映権ビジネスやツアリズム、スポンサービジネスと言った周辺ビジネスに多大に影響を与えることにも発展しており、上手く流れを掴むことができるかどうか、逆手に取ったマーケティングが行えるかと言ったところが鍵になってきます。ラテン系やアフリカのEU圏内に血縁関係を持つ人々が多く存在しているアフリカ・南米は比較的、移籍などのハードルは低くなっていると言えますが、アジアや北米のEU圏外という地域に対しては非常に厳しくなっているといえます。


外国選手の規制は非常に難しい部分でもあります。しかし日本がアジアで政権を握っていくためには代表、リーグがそれぞれアジアトップクラスの力を持たなければなりません。その視点で考えると、日本人選手の育成という部分をベースに、各クラブがもう少しこのアジア枠を利用できないかとも思います。当然テレビの放映権ビジネス、スポンサービジネス、ツアリズムの3点セットがプラスに働くことを求めて、ということでもあります。タイの英雄チャナティップ選手も、生かし切れたかというとまだまだそうでもなく感じるがゆえ、ネクスト・チャナティップを手にするのはどのクラブになるのか、どのぐらいマーケティングに活用することができるのか、まだまだJリーグが成長することができる部分に期待したいと思います。