西野ジャパンの初陣も終わり、いよいよW杯が始まる。4年に1度の大舞台。そこに2大会連続で立てそうだったのに立てなかった男がいる。サンフレッチェ広島のMF青山敏弘(32)だ。3年ぶりに日本代表へ招集されるも、右膝を痛めて5月24日に無念の離脱。J1で首位広島を引っ張る主将の思いは計り知れない。

 冷静で口数が多い方ではない。でも、W杯に対する思いは本当に強かった。前回のブラジル大会、1-4で完敗したコロンビア戦で先発。だが、試合で腰を痛めて帰国後は長期離脱を強いられた。当時、所属の広島はJ1・3連覇を目指していた。チームが乗っている時、主将だった自身のアクシデント。青山のせいではないが、チームは優勝できなかった。その時「とても辛い思いをした」と苦しそうに話していたことを覚えている。

 翌15年。ハリルジャパンがスタートしたばかりの3月だった。ハリルホジッチ前監督の就任2戦目、ウズベキスタン戦で代表初ゴールを決めた。GKのこぼれ球を振り抜いたミドルシュート。試合後の取材エリア、青山が発した言葉は忘れられない。

 「(チームの)始動から参加出来たのが大きい。ロシア行きの船に乗りたい」

 W杯後に挫折を味わい、再起を誓った15年。もう1度W杯を、ロシアを目指すと決めた。「代表に呼ばれたい。勝負の年だから」。同年、年間勝ち点1位の広島は、ガンバ大阪とのチャンピオンシップを制して優勝。青山の日本代表への思いは、広島をも強くし黄金時代を築いた。

 今回の代表での離脱が決まった時、青山は「俺ダメだわ」と広島時代に同僚だったFW浅野に話したという。トレーナー室で一緒になった後輩に「俺、もうできないわ。1本のパス、出してあげられないけど、頑張ってな」と声を掛けた。青山のその言葉に込められた悔しさ、無念さは想像を絶する。

 36歳で迎える4年後のW杯は厳しいかもしれない。ブラジル大会の雪辱を果たす機会は訪れないかもしれない。でも、青山は絶対に立ち上がると信じている。西野監督も、ガーナ戦の代表発表会見で「今(首位広島の)チーム事情を彼が作っていると言っても言い過ぎでないくらい、現在の広島を象徴する主将であり、支柱。間違いなく現在最高のパフォーマンスをする選手の1人」と賛辞を送ったほどだ。

 W杯終了後。完全復活し、紫のユニホームを着た背番号6の強烈なプレーを見られることを楽しみにしている。【小杉舞】

 ◆小杉舞(こすぎ・まい)1990年(平2)6月21日、奈良市生まれ。大阪教育大を卒業し、14年に大阪本社に入社。1年目の同11月から西日本サッカー担当。担当はG大阪や神戸、広島、名古屋、J2京都など。