東日本大震災の発生から今日11日で5年たつ。U-23(23歳以下)日本代表の手倉森誠監督(48)は、仙台の監督時代に被災。12年に仙台をJ1で準優勝に導き、今年1月はリオデジャネイロ五輪アジア最終予選を兼ねるU-23アジア選手権で初優勝した。青森県出身の東北人として「希望の光」になるため、8月4日開幕のリオ五輪で「メダルを取って恩返ししたい」と48年ぶりの快挙を誓った。

 毎年、この時期がくると自問自答する。「自分は希望になれているのかな」。手倉森監督は、仙台のクラブハウスで被災してから「東北のために」生きていた。12年に仙台をリーグ2位に押し上げ、13年に任期途中で退任。当時21歳以下だった代表の監督に転じた。「希望の光になると言いながら、志半ばで代表に籍を移した」。震災5年を語る取材の場で、まず東北への申し訳なさを打ち明けた。

 今年1月のリオ五輪最終予選は、前評判を覆す快進撃でアジア王者に。6大会連続の五輪出場を決めた。「もし切符を獲得できなかったら『何のために出ていったんだ』と東北の皆さんに思われる。その重圧があった。谷間の世代といわれた選手たち。突破は難しいといわれたけど、実は震災後のベガルタを率いる方が難しいと思っていた」と言い切るほどの災害だった。

 昨年の3・11は千葉県でU-22ミャンマー代表と対戦し、9-0の大勝を贈った。今年は視察のため被災地で午後2時46分を迎えられないが、思いは同じ。「震災は試練。人間力が試される出来事だった。乗り越えてこそ、人は強く、たくましく、折れない人間になれる」と信じ、8月の本大会への準備を進めている。

 世界で競技人口が最も多いサッカーなら、世界中から注目される五輪なら、より多くの人に復興を発信できる。68年メキシコ五輪の銅メダル以来の快挙へ「メダルを取ることで恩返ししたい。力を貸してもらってメダルを被災地に届けたい」。1000年に1度といわれた震災に比べれば、48年ぶりなど不可能ではないと思っている。【木下淳】