FIFAワールドカップ(W杯)カタール大会決勝トーナメント1回戦で、日本はクロアチアに敗れ、大会を終えた。1次リーグでは優勝経験のあるドイツ、スペインを撃破したが、目標の8強入りは逃した。

森保一監督(54)が就任して4年。今大会を通じて得た収穫と課題とは何か。「森保ジャパン ドーハの光と影」と題し、連載する。第1回は、金星を挙げたドイツ戦の大胆采配までの道筋に迫った。

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ここ一番で森保監督が見せた勝負の一手だった。1次リーグ初戦、23日のドイツ戦。前半38分、陣形を4バックから3バックに変更する。サイドのスペースをケアし、守備をゾーンからマンツーマンに変えた。就任以来、球際での強さの重要性を説いてきた。1対1を強いられる選手を信じ切り、選手もまた応えた。後半には三笘、堂安、浅野と交代カードを切り、逆転劇につなげた。

森保監督への数々のバッシングの中に「選手任せ」があった。確かに、大半の代表活動では「いい守備からいい攻撃のコンセプトの浸透」を求めたものの、細かい戦術は設定されてこなかった。

W杯まで半年を切った6月の代表活動。最終戦でチュニジアに0-3と完敗し、選手から「攻撃の細かい決まり事がない」と指摘する声が漏れた。7月の東アジアE-1選手権で初招集された選手が練習中に「自分は何をすればいいのか」と同ポジションの先輩選手に聞くこともあった。聞かれた選手の返答は「好きなようにすればいいんだよ」。

森保監督からすれば、各クラブでの戦い方から、たった数日で切り替えて試合に臨む選手をまとめなければならない。コロナ禍で国際親善試合も組めない時期もあった。無理して戦術を落とし込んでも、選手もチームも混乱して、うまくいかないとの考えがあった。だから細部にこだわりすぎず「いい守備からいい攻撃」という抽象的ではあるが、根本の部分を焦らず説いた。

転機は9月のドイツ遠征だった。約10日間、寝食を共にする貴重な機会。ここで選手やスタッフが戦術の細部まで話し合い、共通認識を醸成した。選手からの発案もあり、システムはアジア最終予選を勝ち抜いた4-3-3から、トップ下を置く4-2-3-1に変更。プレスの掛け方、ボールの奪いどころを統一するなど、選手の役割も明確化させた。

変更初戦となった米国戦は2-0で快勝した。4日後のエクアドル戦はW杯メンバー選考前としては、最後の国際Aマッチ。選手、スタッフの中には、本番に向けた準備のため、大きく選手を替えないほうがいいという意見もあった。しかし、森保監督はスタメン全員の変更を決断した。

多くの選手に実戦を体感させて試す。W杯の大一番で迷わず、大胆な采配を振るうための準備だった。0-0の結果に終わり、不安視する選手もいたが、森保監督は動じることはなく、逆に手応えを感じていた。

W杯前は選手交代が遅かったり、交代5人枠を使い切らないことも多く、批判を浴びてきた。それがドイツ戦では前半途中に陣形を変更、後半開始から次々とフレッシュで攻撃的な選手を送り込んで相手を翻弄(ほんろう)した。「監督の采配がすべて」とMF鎌田。海外経験の豊富な選手の立場が強く見えることもあったが、ここぞの采配で求心力も増した。

W杯本番で機能した3バックだが、ほとんど練習はしていない。事前に「武器」という意識に至った選手もいなかった。それでも森保監督は戦況を見て「代表と、所属チームでやってきたことをうまく組み合わせる」と瞬発的に動いた。指揮官が求めた対応力と修正力に、選手も応えた。神とも言われた采配は、試行錯誤のチーム作りから生まれていた。【岡崎悠利】