日本フィギュアの歴史

「野辺山合宿」で育った人材が世界トップクラスに

100年に1人の天才はリンクを去った。92年アルベールビル五輪後、伊藤みどり(48)は引退。同五輪では絶不調の中、最後にトリプルアクセル(3回転半)を決めて銀メダルも、有力視された日本勢初の金メダルは逃した。当時、日本スケート連盟強化コーチで現在ANA監督の城田憲子(71)は「絶対に取れるはずだったものが取れなかった。日本連盟としても悔しさはあった」と振り返る。

前年の91年には98年長野五輪開催が決定。だが、伊藤の引退で、世界の頂点に立つような人材は見当たらない。個人の才能、指導力だけでは限界がある。日本連盟は「第2の伊藤みどりを育てよう」のスローガンのもと、人材育成に着手する。92年夏から長野・野辺山高原で、全国有望新人発掘合宿をスタートさせた。

年1回、3泊4日の通称「野辺山合宿」。全国から9~12歳の小学生が、今は100人以上が参加する。のちに強化部長になる城田は合宿の冒頭で本人、両親にくぎを刺した。「ここは競争の世界。突き抜ける力がないと無理。良いことばかりではありません。難しいと思ったら帰ってください」。陸上での瞬発力、持久力、表現力、リズムを早朝からチェックされ、氷上での演技を競い合う。


06年2月、トリノ五輪女子SP演技後の安藤美姫(中央)。左は城田憲子監督
06年2月、トリノ五輪女子SP演技後の安藤美姫(中央)。左は城田憲子監督

最近の五輪選手はほぼ全員が「野辺山合宿」に参加している。城田は「浅田、安藤は当時から華があった。羽生は転んでばかりだったが、リズム感が良かった」と名選手の過去を思い返す。合宿で選抜した小学生は欧州の国際大会に派遣。城田は「日本人は遠慮っぽいし、大きくなってからポンと海外に行くとひるむ。小学生からの場慣れが大事。小さな子役が舞台できっちりと演技するように」と狙いを話した。

地元開催の98年長野五輪では荒川静香の13位が最高とまだ結果は出なかった。ただ02年ソルトレークシティー五輪では本田武史(36)が4位。世界ジュニアでは02年高橋大輔、03年太田由希奈、04年安藤美姫、05年浅田真央が優勝するなど、「野辺山合宿」の成果は徐々に表れ始めた。そして06年トリノ五輪で荒川が日本勢初の金メダルを獲得。14年ソチ五輪では羽生が日本男子初の金メダルを手にした。

発祥の欧米を手本に、追いつき追い越せで、強豪国の一員になった日本フィギュア。続々と有力選手を輩出する「野辺山合宿」は海外から「パワーハウス」と呼ばれ、一時低迷したロシアは手本にして勢いを取り戻した。だからこそ、日本の地位も、永遠に安泰なわけではない。有望な小学生も増加した今こそ「野辺山合宿」の回数、参加数、年齢枠の拡大など改革の余地を残す。今の隆盛を維持するため、常に新たな強化策が求められている。(敬称略)(2017年11月26日紙面から。年齢は掲載当時)

欧米中心に発展したフィギュアスケート。近年の浅田、羽生、宇野ら日本勢が隆盛を誇るまでには、長い苦難の道程があった。日本フィギュアの足跡をたどる。

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