日本レスリング界をけん引してきた笹原正三(ささはら・しょうぞう)さんが5日午前0時11分、死去した。93歳だった。日本レスリング協会が6日、発表した。1956年のメルボルン・オリンピック(五輪)フリースタイル・フェザー級で金メダルを獲得、64年東京五輪ではコーチとして金メダル5個の好成績に貢献した。その後も日本レスリング協会会長など要職を歴任、日本レスリング界とスポーツ界の発展に貢献してきた。
<悼む>
笹原さんを最後に取材したのは脳梗塞を患った後の12年だった。リハビリ後だったが、話は日本協会会長だった頃と変わらず明快で分かりやすかった。そこで初めて聞いたのは、世界中に恐れられた「ササハラズ・レッグシザーズ(股さき)」の秘密だった。
「実は『股さき』っていう名は、自分でつけたんだ」。マスコミがつけた名前だと思っていたが「何という技ですか? と聞かれて自分で答えた。相手の股をさくからね。痛いよ」と笑った。そして、自らのコンプレックスが技を作ったことも明かしてくれた。
「体が硬くてね。大学で一番嫌だったのは、股を180度に開く練習(相撲の股割り)。硬いから痛くてね」。レスラーにとって柔軟性に欠けることは致命的。54年の世界選手権でトルコの選手に足をきめられて激痛が走った。それが、世界の頂点に立った「ササハラズ・レッグシザーズ」を生んだ。
「足の位置、入れ方、角度を変えて後輩相手に試行錯誤を重ねた。テコの原理も取り入れ、自分のものにするまで3カ月かかった」と話した表情は、少し得意げだった。
超がつくほど練習熱心。そして、勉強家だった。ビデオなどなかった時代、堪能な英語で原書を読みあさり、ライバル校に忍び込んでは練習を観察した。身体だけでなく「365日、24時間」(笹原さん)頭もフル回転だった。
知識を吸収し、それを研究し、工夫して自分のものにすることが得意だったのだろう。だから「体の硬さ」を克服して必殺技を身につけることができた。現役引退後も同じ。レスリング界、スポーツ界のために尽力できたのは、体だけでなく頭も超一流だったからだ。【荻島弘一】


