日本代表「彗星ジャパン」が24年パリ五輪の出場権を得た。決勝でバーレーンに32-29で勝利。88年ソウル大会以来、36年ぶりとなる自力での五輪出場を決めた。前半で18-13とリードし、北マケドニアのヴァルダル所属のCP安平光佑(23)がチーム最多10得点。GK中村匠(27=豊田合成)の好守も光った。自国開催で出場した21年東京五輪は1勝4敗の11位。国内組と海外組が融合し、パリの地で旋風を巻き起こす。
独特の雰囲気が漂う中東の会場に、無数の日の丸が揺れた。終了間際、左サイドから安平が10点目を決め、両手を広げて喜びを表現した。32-29でバーレーンを撃破。36年ぶりに自力で五輪切符をつかんだ。全員で円になり、肩を組んで回った。シグルドソン監督は「信じられないぐらいのことを成し遂げた」と感慨深げに言った。
23歳の海外組、安平が攻撃を支えた。スピードを武器に、昨年はポーランドの地で経験を得て、現在は北マケドニアリーグに所属する。8-6から4連続失点した前半も、安平のシュートで同点。そこから一気に突き放し、5点リードで折り返した。
攻め込まれた後半は国内組で豊田合成のGK中村が際立った。猛攻に遭いながらも中盤に7メートルスローを左脚で止め、こぼれ球のシュートもゴールを許さなかった。シグルドソン監督は「(5人の)海外組と国内組の融合が心配されましたが、チーム内のコミュニケーションが非常にうまくいき、成功したことが大きかった」と勝因を口にした。
日本中がハンドボールに注目したのは16年前。07年9月、北京五輪アジア予選のクウェート戦で日本に不利な判定が続出し“中東の笛”と呼ばれた。五輪予選はやり直され、翌08年1月に行われた韓国との大一番は東京で開催された。フェアな条件になったはずも結果は25-28の3点差負け。当時のエース宮崎大輔は「負けたのは悔しい」と涙を流した。
その後も苦闘が続いたが、17年2月、16年リオ五輪でドイツを銅メダルに導いたシグルドソン監督が就任。湧永製薬でプレーした知日派は大学生も積極的に代表合宿に呼び、若手の底上げを図った。適材適所の的確な采配でチームを進化させた。今回は身長190センチ台の選手を8人招集。継続的な強化が実り、パワーに勝る中東勢を打ち破った。
アジア予選の1位突破は84年ロス五輪以来。90年代以降は韓国や中東勢の厚い壁にはね返されてきた。今回はアジアのナンバーワンとしてパリの地へと向かう。「道は続きます。成し遂げられたことに満足し、進歩の歩みを止めてはなりません」とシグルドソン監督。彗星のごとく輝くために、終着点は定めない。
★ハンドボール男子日本代表の苦闘
◆全敗 88年ソウル五輪は自力出場も1次リーグは0勝5敗。米国との11位決定戦を24-21で勝利し、最終順位は11位。
◆「中東の笛」疑惑で国内開催も 07年9月の北京五輪アジア予選で3位。「中東の笛」による疑惑判定があったため、翌08年1月に韓国との再試合が東京・代々木第1体育館で開催。1万人超の観衆のもとで行われたが敗北。同5~6月の世界最終予選も1勝2敗で3位となり、上位2カ国に与えられる出場権を逃した。
◆世界最終予選も出られず 12年ロンドン五輪は同年4月の世界最終予選で敗退。15年11月のリオデジャネイロ五輪アジア予選では5位。上位4チームが進出できる世界最終予選への出場を逃し、五輪出場の可能性が早々に消滅した。
◆自国開催枠で出場も 21年東京大会 自国開催枠で出場。1次リーグでポルトガルに31-30で競り勝ち、33年ぶりの勝利を挙げたが、1勝4敗で決勝トーナメント進出を逃した。
※パリ五輪男子アジア予選 カタール・ドーハで18日から5カ国による予選ラウンドが開始。18日イラン(25○20)19日バーレーン(27○26)21日クウェート(32○30)22日カザフスタン(44○19)と4戦全勝の1位通過で準決勝に進出した。26日の準決勝は韓国を34-23で撃破。28日のバーレーンとの決勝に進出していた。


