北京五輪フィギュアスケート男子4位の羽生結弦(27=ANA)が、思い出の曲で再出発した。

前日14日の記者会見で現役続行へ前向きな姿勢を示し、一夜明けた15日は首都体育館の練習用リンクで行われた公式練習に参加。14-15年シーズンのフリー「オペラ座の怪人」を演じた。今大会のフリーではクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑んで世界初認定。開催地の中国に縁のある演目に乗り、未来へと進み始めた。

   ◇   ◇   ◇

練習開始から20分ほどが経過し、羽生がリンクサイドでスマートフォンを手にした。エキシビションや3月の世界選手権(モンペリエ)を控えた選手が、調整をするために設けられた公式練習。スタッフの元へと向かうと、直後に曲が流れた。ショートプログラム(SP)の「序奏とロンド・カプリチオーソ」でも、フリーの「天と地と」でもないメロディー。あの名曲「オペラ座の怪人」だった。

すぐに懐かしい音と調和し、華麗に4回転-3回転の連続トーループを決めた。1度は曲を止め、ジャンプの感触の確認を再開。35分間の練習が残り1分を切ると、また「オペラ座の怪人」が流れた。全身を激しく使い、鋭いターンで要素を紡いだ。イナバウアーやスピンを交えた緩急のある滑りを披露し、会場はスタッフの拍手に包まれた。充実した表情で汗をぬぐい、進んだ取材エリア。選曲理由を問われると「別に試合じゃないから」とほほえみ、立ち止まって説明した。

「でも、やっぱり中国で『オペラ座』っていうのは、すごい大切な思いがあったので」

あれは14年ソチ五輪で金メダルを獲得し、王者として臨んだシーズンだった。同年11月、上海で行われたGP中国杯。フリー演技前の6分間練習で他の選手と激突し、うずくまった。顔からは血が流れ、おぼつかない足取りで引き揚げた約15分後。羽生は再びリンクに立っていた。頭にぐるぐるとテープを巻き、鬼気迫る表情で滑りきった。大会結果は2位。腹部の手術、右足首の捻挫と苦難続きの1年だったが、15年3月の世界選手権では再び上海の地で2位。当時「いつかまたやりたい」と口にしたプログラムだった。

前日の記者会見では「これからも羽生結弦として、羽生結弦が大好きなフィギュアスケートを大切にしながら、究めていけたら」と口にした。中国で滑ることの意味をかみしめ、羽生は歩き始めた。【松本航】