2大会連続出場の冨田せな(22=アルビレックス新潟)が銅メダルを獲得した。決勝2回目に88・25の高得点をマーク。この種目で日本勢女子初のメダルを手にした。大会会場となった中国・張家口では19年に頭部を強打して3カ月ほど競技から離れたこともあった。当時の記憶もよぎる中で、恐怖心を克服して栄光をつかんだ。妹るき(チームJWSC)は5位入賞。予選2位通過の小野光希(バートン)は9位だった。

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試合終了から約10時間後に行われた授与式。銅メダルを手にした冨田せの表情に、とっておきの笑みがこぼれた。「実感がわいた。重たくてびっくり」。この種目の日本勢では女子初のメダル。大きな価値が詰まっている。

高難度のフロントサイド1080(3回転)を決めて波に乗った。1回目86・00の2位につけると、2回目はさらに高さと精度を上げて88・25をマーク。順位こそ1つ落としたが、得点を伸ばしてメダル圏内をキープした。さらに攻めた3回目は途中転倒に終わったが、鍛えてきた体幹の強さを生かし、高さのあるトリックで魅了した。

予選を5位通過。前夜は決勝に備えて早く就寝しようとしていたところ、抜き打ちドーピング検査の対象に。その影響で「眠れなくなってしまった」と振り返るが、見るものを目覚めさせるようなダイナミックな動きで躍動。5位の妹るきと姉妹での入賞を喜んだ。

今大会の五輪会場には、苦い思い出があった。19年12月のW杯で転倒し頭部を強打。脳挫傷により3カ月ほど雪上から離れた。6日の公式練習を終えたときには「正直、むちゃくちゃ怖くて。最初のほうは泣きながら滑っていた」と話していたが、そんな思いを振り払うかのように、自分の技を最大限出し切った。

スノーボードを始めたのは3歳ごろ。小学1年のときに、長野県軽井沢町の小さな大会に出場。1歳違いの平野歩夢らも出場した大会で表彰台に立ったことで、本格的に競技にのめり込むようになった。

初出場だった前回の平昌五輪は8位入賞。そこから何度もけがをしたが、そのたびにはい上がってきた。W杯優勝こそないが、今年1月のXゲームで勝利。初めて頂点に立った勢いそのままに、2度目の五輪の大舞台で歴史を刻んだ。【奥岡幹浩】

〇…妹るきも5位入賞を果たした。1、2回目はいずれも途中で転倒。それでも一緒にリフトに乗った姉せなから、「バックナイン(2回転半技)、めっちゃうまかったよ」などと声をかけてもらい、落ち着きを取り戻した。3回目は5つの技をすべて決め、80・50をマークした。銅メダルを獲得した姉について「うまいし、格好良いなと思った。選手としてはすごく悔しいけれど、家族としてはすごいうれしい」と祝福した。

◆フロントサイド 「レギュラースタンス(左足前)」と「グーフィースタンス(右足前)」の2種類があり、冨田せのようにレギュラースタンスがメインスタンスの場合、進行方向に対して反時計回りでエアに入ることをフロントサイド、時計回りだとバックサイドとなる。

◆日本勢のハーフパイプ五輪成績 表彰台は男子で過去2人(のべ3度)。14年ソチ、18年平昌で平野歩夢が2大会連続の銀メダルを獲得。14年ソチで平岡卓が銅メダルに輝いた。女子は今回銅メダルの冨田せが日本勢初メダルで、過去は14年岡田良菜の5位が最高だった。

冨田(とみた)せな

◆生まれ 1999年(平11)10月5日生まれ。新潟県妙高市出身

◆経歴 妙高市立妙高中-新潟・開志国際高-全日本ウィンタースポーツ専門学校-アルビレックス新潟

◆主な戦績 21年Xゲーム優勝、W杯表彰台7回、18年平昌五輪8位入賞

◆姉妹 2歳年下のるきとともに日本代表として活躍。姉妹で北京五輪出場を果たす

◆スタンス レギュラー

◆名前の由来 海外旅行好きの母美里さんが、世界中の人たちに呼んでもらいやすい名前をと命名した。著名なF1レーサーとは無関係。

◆好物 アイスクリーム