リオデジャネイロ・パラリンピック陸上男子走り幅跳び(切断などT42)銀メダリストで、スノーボードのバンクドスラロームとスノーボードクロスで18年平昌パラリンピックを目指す山本篤(35)がプロ選手に転身した。スズキ浜松ACを運営するスズキを退社し、10月から太陽光発電事業を手掛ける新日本住設とスポンサー契約を結んだ。数少ないパラアスリートのプロ選手として後輩らに人生の道しるべを示す。

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 “夏冬二刀流”の鉄人が新たな挑戦に踏み出した。今年1月に「スノーボードで平昌挑戦」と世間を驚かせた山本の次の一手は「プロ転向」だった。「後輩たちにプロの道もあることを示したかった。いくつになっても常に挑戦したい気持ちがある」。目を輝かせてこう言った。

 平昌大会を目指す上で、スズキでも陸上以外の支援拡充を検討していたが「自分が主体になりたい。迷惑はかけたくない」と自ら退社を申し出た。9月末で退社し、1日付で新日本住設と20年末までのプロ契約を結んだ。契約は両競技の支援の他、パラリンピックや世界選手権での報奨金支給も盛り込まれている。収入の不安も懸念されるが、小学校教諭の妻の理解も大きかった。

 銀メダルを獲得した7月の陸上世界選手権以降は、本格的に「平昌モード」に入った。初参戦した9月のニュージーランドでのスノーボードW杯バンクドスラロームは9人中6位。トップとは25秒以上も離れ「絶望感しかなかった。このままでは戦えない」と実力差を痛感した。陸上とは異なる義足で重心移動のタイミングや板の使い方に苦労した。大会後の現地合宿ではハーフパイプで徹底的に滑り込み、義足の使い方やターンなどを特訓した。「陸上はいかに前に推進力を持つかで、スノボはいかに耐えるか重要」と手応えもつかんだ。

 しかし、平昌大会への道のりは険しい。2つの代表枠に入るのは厳しく、競技団体が推薦する「招待枠」を狙うしかない。11~12月に欧州で行われるW杯の連戦で上位に入ることが絶対条件だ。「厳しいのは分かっているが戦わないと始まらない。チャンスはものにしたい」。

 大きな夢もある。パラリンピックの同じ開催都市での夏冬メダル獲得だ。08年北京大会で銀メダルを獲得して、22年北京冬季大会でメダルを狙う目標を掲げた。平昌大会を経て「東京で金、北京はスノボでメダル。こういうの好きなんです」。英雄になるために35歳の鉄人は歩みを止めない。【峯岸佑樹】

 

 ◆山本篤(やまもと・あつし)1982年(昭57)4月19日、静岡・掛川市生まれ。掛川西高-大体大-大体大大学院。高校2年の時のバイク事故で左大腿(だいたい)部から下を切断。高校卒業後に陸上を始める。パラリンピックは08年北京から3大会連続出場。16年リオ大会走り幅跳び銀、400メートルリレー銅メダル。趣味はゴルフ。167センチ、59キロ。