平昌パラリンピックを日本選手団の団長として、選手と一緒に戦ってきました。同じアスリート出身の団長として心がけたのが、選手たちへの声掛けです。毎日、競技会場に足を運び、試合後の選手に可能な限り声をかけました。試合直後は気持ちが高ぶっていて、ストレートな本音が聞けます。現役時代の経験からそれを知っていたからです。

 女子アルペンスキー5種目でメダルを獲得した村岡桃佳選手は、3種目目のスーパー複合を終えた直後「こんな思いはしたくない」と、すごく悔しがっていました。滑降の銀、スーパー大回転の銅に続く銅メダル。私は逆にこれがチャンスだと思い、「もう収穫は十分あった。次は失敗してもいい。もう1段ギアを上げて、思い切って滑ろう」と提案しました。

 メダルを取ると、次の種目への期待が重圧になります。私も06年トリノ大会で経験しました。滑降、スーパー大回転と銀が続いた後、3種目目の大回転で金を取ることができました。この時、心の中に前がかりの自分と、冷静な自分が2人いて、うまく融合できたのです。その話を村岡選手にもしました。続く大回転で金メダルを取った後、本人から「私にも2人の自分がいました」と聞き、あらためて成長を感じました。

 冬季大会として初めて現地に設置された、スポーツ庁のマルチサポート事業のハイパフォーマンスサポートセンターの存在も大きかった。専門スタッフは国立スポーツ科学センター(JISS)で顔なじみなので、すでに信頼関係もあり、心理サポートを受けたという村岡選手を含めて多くの選手が利用していました。特に選手が喜んだのがダシの利いたおいしい日本食。気分的にもリフレッシュできたようです。

 今大会、日本は金3個を含む10個のメダルを獲得しました。アルペン、ノルディックスキー、スノーボードと各競技から、若い選手とベテランがバランスよく取ったことに手応えを感じています。一方で、アスリート出身ということで、大会を通じて選手たちからも「団長、団長」とよく声をかけてもらいました。支える立場でしたが、私も選手たちに支えられて、重責を果たすことができたのだと思っています。

 

 ◆大日方邦子(おびなた・くにこ)アルペンスキーでパラリンピック5大会連続出場し、10個のメダルを獲得(金2、銀3、銅5)。10年引退。現在は日本パラリンピアンズ協会副会長で、平昌パラリンピック日本選手団長を務めた。電通パブリックリレーションズ勤務。45歳。