【隠せない対抗心】清宮幸太郎「あいつが35本、僕40本なら、ポンって変わる世界」

選手の技術面に加え、人間性やドラマにも迫る田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」。古巣日本ハムのOBとして沖縄・名護キャンプ&ファームの国頭キャンプを訪れ、期待の若手にインタビューを行いました。吉田輝星投手に続く第2弾は、昨シーズン18本塁打を放ち、いよいよ覚醒への足掛かりをつかんだ、プロ6年目2017年ドラフト1位・清宮幸太郎内野手(23=早実)です。

プロ野球

◆清宮幸太郎(きよみや・こうたろう)1999年(平11)5月25日生まれ、東京都出身。早実初等部3年で野球を始め、東京北砂リトルで12年のリトルリーグ世界選手権で優勝。早実では1年春からレギュラー。甲子園には1年夏と3年春に出場。1年夏は2本塁打を放ち4強。1、3年時にU18W杯出場。高校通算最多の111本塁打。7球団競合の末、17年ドラフト1位で日本ハムへ。通算359試合に出場し2割8厘、39本塁打、128打点。184センチ、98キロ。右投げ左打ち。家族は両親と弟。父克幸さんはラグビーフットボール協会の副会長。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。

キャンプイン直後、2月2日に行われたインタビュー。初めての顔合わせだったが、田村氏がイースタン戦を何度もチェックしていたこともあり、踏み込んだやりとりが成立した。清宮は練習試合で本塁打を放つなど、順調にキャンプを消化している

キャンプイン直後、2月2日に行われたインタビュー。初めての顔合わせだったが、田村氏がイースタン戦を何度もチェックしていたこともあり、踏み込んだやりとりが成立した。清宮は練習試合で本塁打を放つなど、順調にキャンプを消化している

「ちょっと物足りないな」

田村氏田村です、よろしくお願いします。マスクを取らせてもらいます。

清宮はい、もちろんです。どうぞ。

田村氏キャンプ2日目なんだけど、体調はどうですか?

清宮いやもう、ばっちりです。どこもけがもなく。昨日もすごく動けてたんで

田村氏ニュース見たら、昨日もセンター前に打っていましたね。

清宮あっ、はい。

田村氏体調はいいんですね。

清宮はい、いいです。

田村氏去年が129試合、それだけ出たのは初めて?

清宮はい、そうですね。

田村氏89安打、18本、55打点。2割1分9厘だね。

清宮はい。

田村氏その成績について自分ではどう捉えてますか?

清宮一応、キャリアハイなんで、今までよりは良かったんですけど。まあ、ちょっと物足りないなというのが率直な感想です。

田村氏でも、初めて129試合出て。ホームラン18本。これだけの数字で、打率は物足りないだろうけど。でも、段階だよね。去年は実質1年目みたいなもので。だから今年かな?

清宮はい、今年がすごい勝負だなと思っています。

田村氏6年目ですね?

清宮はい。6年目です。

田村氏そろそろ、去年をきっかけにして、ですね。課題は持って入りましたか?

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。