【憎めない】吉田輝星「なんちゃって1軍」脱却へ 話は尽きずに…/インタビュー前編

選手の技術面に加え、人間性やドラマにも迫る田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」。古巣日本ハムのOBとして沖縄・名護キャンプ&ファームの国頭キャンプを訪れ、期待の若手にインタビューを行いました。初回は、昨シーズン主に中継ぎとして51試合に登板し、今季大ブレークの予感を秘めるプロ5年目、2018年ドラフト1位右腕・吉田輝星投手(22=金足農)の『前編』をお送りします。

プロ野球

◆吉田輝星(よしだ・こうせい)2001年(平13)1月12日、秋田県潟上市生まれ。小3から天王ヴィクトリーズで野球を始める。金足農では1年夏からベンチ入り。3年夏は、秋田大会から甲子園準決勝まで10試合連続完投勝ち。決勝では大阪桐蔭に敗れたが、金農旋風を巻き起こした。大会通算62奪三振は歴代6位。U18アジア選手権日本代表。18年ドラフト1位で日本ハムに入団。4年目の昨季は、主に中継ぎとして51試合に登板し2勝3敗5ホールド、防御率4・26。今季推定年俸2000万円。175センチ、84キロ。右投げ右打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

田村氏のツイッターから、吉田輝星のピース写真を拝借。写真を撮影する評論家は日本で1人だろう。みな、心を許したいい顔をしている

田村氏のツイッターから、吉田輝星のピース写真を拝借。写真を撮影する評論家は日本で1人だろう。みな、心を許したいい顔をしている

「カコイチにいいですね」

田村氏はじめまして。田村です。

吉田こんにちは。いつも記事見させてもらってます。

田村氏ごめんね。あんまりいいこと書いてないでしょ?

吉田いえいえ、ためになることばっかりです。

田村氏えっ、そんなことないでしょ。気を使ってくれてありがとう。さっそくだけど、キャンプは2日目ですね。体の調子はどうですか。

吉田はい、そうですね。体の状態としてはカコイチ(過去一番に)にいいですね。

田村氏いいね、カコイチ! 昨日投げたんですね?

吉田はい、1イニングだけです。

田村氏さっき、西崎さん(日本ハムOBの西崎幸広氏)と話していたと思うけど、ピッチングはどうでしたか?

吉田やっぱり、実戦とブルペンは違うなあと、感じました。そこは、キャンプ中に埋めていかないとダメだなと思いました。その前のブルペンまではまったく、変な力みなく投げられたんですけど。そのピッチングをバッターが立っている状況でもやっていければ、結構いい投球ができるんじゃないかなと、自分では思っています。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。