【元女子プロの群像】アイコン監督 双子を宿して久々のグラウンドに/坪内瞳の場合

日大国際関係学部の女子硬式野球部では、2代続けて元女子プロが監督に就いています。現監督の柳理菜さん(26)をプロに送り出したのが、初代監督の坪内瞳さん(38)。大学時代に自ら女子硬式野球チームを立ち上げ、プロでも女性監督第1号になった坪内さんが心がけたのは「納得して勝つ」野球。女子という枠を超え、今の時代にふさわしい野球観を育んだ、坪内さんの人生を振り返ります。

野球

▼元女子プロの群像▼

〈1〉柳理菜の場合

〈2〉坪内瞳の場合

◆坪内瞳(つぼうち・ひとみ)1984年6月5日、三島市生まれ。小4から軟式野球を始め、埼玉栄高で硬式に転向。高2春に全国大会出場。平成国際大を経て、2010年に女子プロ野球の兵庫スイングスマイリーズに入団。サイドスローの投手として活躍し、打者としても高打率を残した。右投げ右打ち。現役引退後の13年にノース・レイアの監督を務め、14年に日大国際関係学部監督に就任。子育てをしながら指導を続けたが、昨年秋に教え子の柳理菜さんに後を頼み退任した。

「もう感動!」

「わあ~、動いた! すごい~」

三島にある日大国際関係学部のグラウンドに女子大生たちの歓声が響いた。

ゴールデンウイークの最中。坪内さんは久しぶりに女子硬式野球部の練習に顔を出した。おなかには今夏出産予定の男女の双子が。選手たちはかわるがわる坪内さんのおなかをさわり、「もう感動!」と大騒ぎだった。

長女長男に続き、4人のお母さんになる坪内さん。「昔は野球が一番でしたけど、今は子供が一番」と柔らかく笑った。

日大国際関係学部監督時代の坪内瞳さん(本人提供)

日大国際関係学部監督時代の坪内瞳さん(本人提供)

三島で生まれ育った坪内さんは、中学まで地元の軟式チームで男子と一緒にプレーしていた。その時のことをこう振り返る。

「あまり楽しくありませんでした。キャッチボールの相手を探すのに一苦労でしたし、男子も私の相手をするのは嫌だろうなあ、なんて考えてしまって。ケンカもできないし、周りに気を使わせてしまっていたのも重荷でした」

私も小学校から高校まで野球をやっていたが、こんな疎外感を味わったことはない。男子の視線でしか野球を見たことがなかった自分を恥ずかしく思った。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。