【スクール☆ウォーズのそれから/2の上】天国へ旅だった「伏見工業の産声」の元主将

物語は終わりを告げた。今年の初夏。あの人はこの世を去った。あまりにも唐突に。47年前の春。彼がいなければ、おそらく伏見工業ラグビー部の物語は生まれていなかった。そして、あのドラマも…。紛れもなく伝説の主人公であった。

ラグビー

〈悔しいです! 畜生! 俺は勝ちたい! 小畑道弘:上編〉

81年1月7日、就任6年目で全国制覇を果たし、伏見工の選手の肩を抱く山口良治監督

81年1月7日、就任6年目で全国制覇を果たし、伏見工の選手の肩を抱く山口良治監督

ドラマでも描かれた伝説の始まり

1975年5月17日、京都。

霞(かすみ)がかかった空から、ぼんやりとした日差しが土のグラウンドに落ちていた。

碁盤の目の南端にある吉祥院球技場。すぐ横を桂川が流れる場所で、京都府春季高校総体はあった。

伏見工業の相手は、前年度の全国高校ラグビーで準優勝した花園高校だった。

開始1分も過ぎないうちにノーホイッスルトライを奪われる。

大学ノートに女子マネジャーがスコアを記していた。「正」の字で付けていたトライとゴールの数は、すぐに2つ目の正となる。

前半を終えて0-52。

後半になると、トライをいくつ許したのかすら分からなくなった。

相手の得点は60点、70点と増えていく。

隣にいた山口良治が、グラウンド横をうろうろと歩いていた。

その表情に怒りがにじむ。

監督に就任したばかり。不良生徒を集め、初めて迎えた公式戦であった。

ノーサイドの笛が鳴る。

0-112。

しばらくして、グラウンドの隅に山口は選手を集めた。

「同じ高校生が相手やないか。俺の言うことを聞かず、反抗してばかりやから、こんなぶざまな試合になるんや」

怒りからそんな感情になっていた。

ふと、部員を見つめる。

ユニホームは泥だらけだった。

決して、手を抜いていたわけではなかった。

それを悟る。少しの間の後に、静かに語りかけた。

「お疲れさん。

みんな、ケガはなかったか。

悔しかったやろう」-

その言葉を聞いた生徒の1人が、こらえきれず大粒の涙を流す。

みんなの前でうずくまり、声を上げて泣いた。

「悔しいです! 

畜生! 俺は勝ちたい! 先生、花園に勝たせてください」

ドラマ「スクール☆ウォーズ」でも描かれた名場面。

それが“あの人”であった。

あの日が、伝説の始まり。

あれから47年の時を経て、物語は唐突に終わりを告げた。

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編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。