波乱の夏を伏兵園田匠(33=福岡)がG1初制覇で締めくくった。最終2センターから早めの追い込み勝負に出た武田豊樹(41=茨城)の4番手から中を割って直線一気の強襲劇。2度目のG1決勝で悲願の初タイトルをつかみ、12月のKEIRINグランプリ(GP)の初参戦権を手にした。

 リトルギャングが手荒い胴上げで弥彦の杜(もり)の青空を舞った。初手は脇本雄太の3番手。勝負どころでは武田に脇本の番手を奪われた金子貴志を追走した。金子が最終バック4番手からまくるが伸びない。2センターから武田-神山雄一郎が早めに追い込むと直線で神山と金子の中を割って突き抜けた。

 168センチ、73キロ。レースウエアを脱げば、その全身は古傷だらけ。目標不在なら、迷うことなく何でもありのゲリラ戦。それは判断を誤れば、落車失格という痛烈な代償が待ち構えている。3月の日本選手権(ダービー)も初日落車でダメージを背負って、そこから連勝。体もタフなら精神力もタフだ。落車はそんな男の勲章だ。「丈夫な体に産んで育ててくれた両親に感謝」。優勝会見でもいつものフレーズを連発した。

 12年のダービー決勝で3着以来のG1決勝は狙っていた。番手戦より中近3番手を選択したのは「ワッキーが逃げる。3番手から中を割る。隙間がなくても突っ込む」。そのためには「プロテクターを全部外す。軽量化と体をスリムにして突っ込みやすくする。落車? 怖いと思ったことがない」。最終的に愛用する傷だらけのプロテクターを着用したがゲリラ魂が悲願を引き寄せた。師匠はF1先行でGP、G1覇者の吉岡稔真氏。「必ずG1を取ります」と誓って弟子入りを許された。約束を果たし、次は「師匠も取ったGPを取る」。GPはゲリラ参戦する園田という最高の劇薬が加わった。【大上悟】

 ◆園田匠(そのだ・たくみ)1981年(昭56)9月22日、福岡県生まれ。私立豊国学園高から自転車競技を始め、競輪学校87期生で在校48位。02年8月小倉デビュー。通算1050戦218勝。通算獲得賞金3億3362万9211円。168センチ、73キロ。血液型B。家族は良恵夫人(33)と3女。