あまりに見事な、見事すぎる采配だった。5人の交代枠をフル活用した後半の逆転劇。交代によってシステムを変え、最終的には広島監督時代にペトロビッチ氏から受け継いでJリーグを席巻した「3-4-2-1」でドイツを圧倒した。今大会からの「交代5人制」を、ここまで最もうまく使った采配だった。

FIFAワールドカップ(W杯)での選手交代は、66年イングランド大会まで認められていなかった。ブラジルのFWペレのように、負傷してもプレーを続けるしかなかった。2人まで交代できるようになったのは70年メキシコ大会から。3人になったのは98年フランス大会。コロナ禍による特別ルールがそのまま採用され、今大会から5人まで交代可能となった。

これまで負傷や体力消耗などで切っていた交代カードを、より戦術的に使えるようになった。「動きが悪い」からと代えるのではなく、相手との関係や試合の状況を見ながら大胆なメンバー変更ができる。森保監督は強化試合の後「戦術の幅が広がった」と話していたが、広がった戦術を大舞台で披露。試合開始と終了で違うチームになった。

「交代のタイミングが遅い」「選手起用の意図が見えない」…。アジア予選も含めて、采配は批判の的となった。確かに、その試合だけを見れば正しい指摘にも思えるが、それも森保監督の作戦だとしたら-。いや、作戦だったのだろう。

今や情報戦は大会前の常識で、親善試合も丸裸にされる。監督采配の傾向も貴重なデータ。「動かない」あるいは「動きが遅い」とドイツのフリック監督が思っていたなら、後半開始早々の3バック変更や早いタイミングの攻撃選手投入に戸惑ったはず。ドイツが最初に選手交代したのは、日本が3人目を代えた10分後。完全に後手に回った。

「ドーハの悲劇」でボランチだった森保監督は、決して目立たなかった。相手の攻撃の芽を摘み、ボールを奪ってラモスに渡す地味な役回り。性格的にもおとなしかった。それでも、チームに欠かせない存在で、オフト監督や選手たちから信頼された。「相手のプレーの特徴やラモスさんたちのポジションから、最適なプレーを考えます」。ぶれることなく、常に結果から逆算するクレバーさは、29年後の今も変わらない。

W杯を「結果を出す場」と考えれば、親善試合はそのための準備。カナダ戦はドイツ戦から逆算して「試す」場だった。妄想と言われるだろうが、すべては計算ずく。大石内蔵助ばりに相手を油断させるのも、森保監督らしいと思う。

目標をぶらさずにチーム作りをしてきたからこその歴史的勝利。もっとも、森保監督の求める「結果」はドイツ戦ではない。「ドーハの歓喜」はまだ先。「ベスト8以上」という目標に向けて、その采配はさらにすごみを増すに違いない。

日本対ドイツ 後半、ゴールを決めた堂安(右)を迎える森保監督(撮影・江口和貴)
日本対ドイツ 後半、ゴールを決めた堂安(右)を迎える森保監督(撮影・江口和貴)