2000年代の浦和レッズ黄金期を支えた元日本代表の2人が、思いがけぬ形で対戦した。

2月3日、神奈川県社会人サッカー選手権決勝トーナメント2回戦のFIFTY CLUB(2018年県1部4位)対イトゥアーノFC横浜(同県2部2位)。天皇杯予選も兼ねたアマチュアの大会で、FIFTY CLUBの先発にはFW永井雄一郎選手(39)、対するイトゥアーノFC横浜を指揮したのは山田暢久監督(43)だった。ともに浦和の主力選手として06年にJリーグ初優勝を果たし、翌年にはアジアチャンピオンズリーグ(ACL)も制した。

FIFTY CLUB永井雄一郎選手(左)とイトゥアーノFC横浜の山田暢久監督
FIFTY CLUB永井雄一郎選手(左)とイトゥアーノFC横浜の山田暢久監督

■永井自らのゴールで軍配

ACLのMVPという実績を持つ永井選手、山田監督は浦和一筋20年で同一クラブでは史上初となるJ1通算500試合出場(501試合)を達成した浦和のレジェンドである。2週間ほど前に監督に就任したばかりで、この日が人生初の監督デビュー戦だった。

試合会場となった平塚市馬入ふれあい広場、天然芝グラウンド。通常ならチーム関係者か家族しかいないところだが、この日は200人ほどの一般ファンも訪れた。レッズのマフラーを巻く人の姿も。快晴の青空の下、河川敷を根城にするトンビが気持ちよさそうに旋回する。そんなのどかな雰囲気の中、注目の「レッズ対決」はキックオフとなった。

40分ハーフで行われた試合で、永井選手は2トップとして最前線に立った。序盤こそ互角の展開だったが、時間の経過とともにFIFTY CLUBが主導権を握った。最終ラインからボールを動かし、中盤を経由してサイドから攻撃を組み立てる。前半30分に右サイドの崩しから先取点を奪った。

最大の見せ場が訪れた。後半7分、ペナルティーエリア脇で得たFK。ゴール前へ入った浮き球を、頭1一つ飛び出した永井選手が頭で合わせると、ボールは勢い良くゴールネットに突き刺さった。昨季は右足アキレス腱(けん)の断裂でシーズンを棒に振ったが、再起を図る19年の初戦で幸先よくゴールを決めた。

永井選手は攻撃のみならず、相手コーナーキックとなると自陣ゴール前まで戻りクリア役となるなど、攻守にわたって存在感を発揮した。かつてのようなドリブラーの姿はなく、シンプルにボールを動かし、周囲と連係した。2-0とした後半21分でお役御免とばかりに途中交代すると、見守った観客からは拍手が飛んだ。

一方の山田監督は終始ベンチに座ったまま試合を冷静に見つめた。4月の新シーズン開幕に向け、まだ手探りの状態であろう。大きな声で指示を出すこともなかった。0-3となって迎えた後半ロスタイム、チームは1点を返して一矢報いた。

結果は3-1、FIFTY CLUBが準々決勝へ駒を進めた。レッズ対決は永井選手に軍配が上がった。試合後、2人は互いに手を取り再会を喜ぶとともに、今後の健闘を誓った。

ヘディングで競り合う永井雄一郎選手(中央)
ヘディングで競り合う永井雄一郎選手(中央)

■神奈川県1部リーグが舞台

1年前、永井選手が神奈川県1部リーグのアマチュアチームに移籍したことには驚いたが、今回の山田監督の就任にもまた驚かされた。県1部リーグとなれば、J1から数えて7部リーグにあたる。思いがけぬカテゴリーで実現した元日本代表同士の邂逅(かいこう)である。

イトゥアーノFC横浜は、サッカースクール事業などを展開するセイントグループ(2000年創設、武田亮代表)が18年から既存クラブの「FC横浜アズール」の運営に乗り出し、将来のJリーグ入りを目指した強化が始まった。ブラジル1部のイトゥアーノFCと業務提携する関係上、チーム名も「イトゥアーノ」に変更。昨シーズンは2部で2位となり、4月開幕の今季リーグ戦は1部で戦うことになった。さらに上を目指していく上で、事業で関係のあった「浦和のレジェンド」へオファーを出し、監督就任が決まったというものだ。

永井選手は「今日はすごい人が来てて。ヤマさんが監督だけにすごい楽しみにしていたので、勝ててよかったです。僕は現役を長く続けているから、こういう形で会えるのはうれしい」とほほ笑んだ。

その上で「(ヤマさんは)ちょっとやりたそうな顔をしていたので、4月のリーグ開幕までに現役復帰するんじゃないですか? ヤマさんが監督というのは僕には違和感がある。ヤマさんが監督? って」と言ってまた笑った。

山田監督は「難しい時期の試合でした。4月の開幕に向けて、最近まで選手をセレクションしている状態で、どれだけの選手が来てくれるのかも分からない。社会人は練習も少ないし、共通意識を伝えるのも大変。監督やるより、選手が楽ですよ」。監督としての歴史的なデビュー戦だったが、そんな感慨はまったくなかった。さらに「(ベンチから)見ているとまた(プレーを)やりたくなる。永井がやっていたので余計にやりたくなった」と苦笑した。

横浜対浦和 試合終了後、決勝点を決めた永井雄一郎(奥)が山田暢久と抱き合う(2005年5月15日
横浜対浦和 試合終了後、決勝点を決めた永井雄一郎(奥)が山田暢久と抱き合う(2005年5月15日

■元一流選手がアマ舞台で戦う

元一流のプロがアマチュアを舞台に戦う。プロとアマの垣根がないサッカー界だからこそ、起こり得る現象である。加えて今月で52歳になるJ2横浜FCのカズ選手の存在が、日本のサッカーに新たな変化を生んでいるように思う。40歳を超えても自分なりにプレーを続ける、息の長いサッカー選手が増えたということだろう。昨年、元日本代表の福西崇史さんが東京都1部リーグ所属の南葛SCで現役復帰したように(現在は監督就任)、元一流プロがアマチュアリーグに舞台を移して活動するケースが目立つようになった。

プロとは違い、社会人サッカーは週3回ほどの活動である。本業は別に持ちつつ、サッカーにも全力で取り組んでいる。そこへ日本トップの経験を持つ元選手が自らの知見を余すことなく、一般の選手たちにも伝えていく。スポーツ文化の土壌は肥やされ、ひいては地域社会の活性化にもつながる。

この日の試合後、多くのファンが列をなし、永井選手と気さくに交流する姿があった。サインをもらったファンは「間近でプレーを見られて感動です!」と笑顔を輝かせた。これもサッカー文化の浸透の一つだと思う。SNSを使ってさまざまな情報を拡散できる現代、今までになかったカテゴリーにまで共感が広がり、新たな価値が発掘される可能性もある。

2月3日はくしくも季節の始まりを示す「節分」。日本“7部リーグ”で見たレッズ対決に、新たな息吹を感じた。【佐藤隆志】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)