アンプティサッカーをご存じだろうか? 「アンプティ(amputee)」は英語で「切断」を意味し、病気や事故により上肢や下肢の切断障害を持った人々が行うサッカーのことだ。もともとは1980年代にアメリカで考案され、ベトナム戦争の負傷兵がリハビリの一環として行っていたという。

2005年製作のブラジル映画「ジンガ」にアンプティサッカーも登場する。サッカー王国に暮らす10人(若きロビーニョもいた)のフットボーラ-のリアルを描いた中に、片足を事故で失った黒人少年が杖(つえ)を突きながら華麗なボールテクニックを披露する場面があった。そのブラジルから08年、元代表選手だった若者が就職のために来日。それがきっかけで日本にも競技が伝わった。現在では45カ国ほどが世界連盟に加盟している。

試合に臨むFC九州バイラオールのメンバー(青)
試合に臨むFC九州バイラオールのメンバー(青)

■FC九州バイラオール3連覇

そのアンプティサッカーで日本一を決める大会、日本選手権が今年も11月2、3日に川崎市(富士通スタジアム川崎、フロンタウンさぎぬま)で行われた。11年に始まり9回目を数えた今回、FC九州バイラオール(大分、以下バイラオール)が決勝戦で関西Sete Estrelas(大阪)を下し、3連覇(5度目の優勝)を飾った。

ルールは少年サッカーとほぼ同じ大きさ(縦60メートル、横40メートル)のピッチを使い、7人制で50分間(25分ハーフ)で行われる。ピッチの選手はクラッチ(杖)を突き、片足でプレーし、GKは上肢に障害を持つ選手が片腕で守る。オフサイドがなく、スローインでなくキックイン、GKはペナルティーエリアから出てプレーができない。

障がい者スポーツだと甘く見てはいけない。その正確な技術と速い展開、激しいフィジカルコンタクトは、サッカーそのもの。中でも優勝したバイラオールの選手たちの躍動感あふれるプレーには度肝を抜かれた。

まず選手の止める、蹴るレベルが高く、パススピードが速い。クラッチを突き、片足で跳ぶように移動するスピードもまた速い。GKからの浮き球の縦パスを当たり前のようにワンタッチでコントロールし、すぐさまターンしてゴールへ向かう。足のインサイド、アウトサイドを使って細かくボールを操り、DFの間断を切り裂く鋭いドリブル。そして矢のような力強いシュート。アンプティサッカー協会の担当者から「競技性が高い」と説明を受けたが、その言葉通りだった。

同時にさまざまな興味を抱いた。なぜアンプティサッカーをするに至ったのか、どういう思いを持ってプレーしているのか? バイラオールでキャプテンマークを巻いたFW野間口圭介選手(46)に話を聞いた。

■骨肉腫で闘病、足を切断

野間口選手は福岡・香住丘高サッカー部で活躍し、関西大へ進学後もサークル3つを掛け持ちしてサッカーに熱中した。だが20歳を迎える頃、左ひざに骨肉腫を患った。

「試合終わりに『これ疲労骨折かな』と思って病院に行ったら『これ、大きいところで見ないといけないね』って言われた。そこからもうドタバタで」

手術で人工関節を入れた。車いす生活となり、38歳で人工関節が悪化し、左足の切断を余儀なくされた。

「骨肉腫になってからは一切、運動していなかった。18年くらいして、アンプティサッカーというのがあると聞いて衝撃を受けて、ここにまさに見に来たんですよ。それが第1回の日本選手権でした。今年9回目やから、9年前のちょうどこの日に体験会というのが試合の合間にあって。それをやるために福岡から飛行機で来ました。既にバイラオールがあったんですけど、3チームあった中で、これはもうサッカーやな、と思ったのがバイラオール。今の形に近いですけどパスサッカーでした」

-骨肉腫から、もう1回サッカーができるようになったことで、すごくポジティブになれたのでは?

「選手全員、声をそろえて言うのがアンプティサッカーに出合って180度まるっきり変わった、考え方もそうですし。外に出るのが恥ずかしかったのが、むしろ義足を外して出るようになった。個人的に言えば、僕はもう義足をつけていない。年間通してこのクラッチを使っています」

-練習はどれくらいの頻度でやっていますか?

「チーム練習は大会の合間に合宿を挟めるか、というくらい。だから半年に1回ですね。だから個人で社会人の健常者のチームに入って、火、金(曜日)にやっています」

12年ロシア・ワールドカップ(W杯)の代表選手。昨年のメキシコW杯(22チーム中10位)は代表候補止まりだったが、テクニカルコーチとして同行した。

-アンプティサッカーの魅力って何ですか?

「何回聞かれても同じことを言うんですけど、障がい者サッカーを始めたきっかけというのが、僕は車いすでしたが何でもいいからスポーツをしたかった。それで車いすだと目線を下げられるのがすごい嫌で(車いすから)立ってできる球技を探したんですよ。これ(アンプティサッカー)しかないんですよ、しかもサッカー。それが魅力の1つだと思います。見るからに障がい者で大変そうだなと見えるけど、ふたを開けてみれば何てことない、普通のサッカーじゃないかと。見てても面白い、やっても楽しい、最高のスポーツだと思います。もっと知ってほしいです」

-いろんな層も含めて競技に参加しています

「女性もいますし、若いのもいますし。静岡のチームには70歳前後の人もいる。その人から『新人です』って紹介を受けましたから。若造が入ってきたって。おもしろいです」

-競技を通して学びが多いように思いますが

「いまだに練習でも、こうした方がいいやん、という発見があるし、それがずっと続くんですね。できなくなった部分が、ちょっとずつできるようになっていくんです。足があった時の形が自分の中の100パー(%)だったとしたら、今は当然追いついていないわけで、まだ(病気前にサッカーを)やっていた時の感覚が残っているから、そこに近づいていっているな、っていうのが日に日に感じられる。そういう欲もあります」

-今後の目標は何ですか?

「まずはオリンピック。来年パラリンピックがあるんですけど、まだ残念ながら公式競技になっていないので、いずれは全大陸で行われるパラリンピックに入りたいというのが1つと。もう1つはワールドカップを日本で開催というのが僕らの夢ですね」

輝くような笑顔で語ってくれた。その野間口選手が「ケタ違い」と称する選手がいる。チームメートの萱島比呂(かやしま・ひろ)選手(24)だ。

萱島選手がドリブルでボールを運ぶ
萱島選手がドリブルでボールを運ぶ

■中学時代は大分県選抜

萱島選手は日本代表でも主軸を担う。右足を失っているが、そのプレースタイルは、まさにレフティー・ファンタジスタ。実はもともと右利きだったというから、恐れ入る。

-どういう経緯ですか?

「中学2年で骨肉腫にかかって、右足の足首。ふくらはぎあたりから切断しました」

-将来を有望視されたサッカー選手だったと聞きましたが

「普通です、大分の県選抜に入るくらい。最後の方も足が痛くてサッカーができていなかったので」

-ショックでしたね

「ショックはショックですけど、意外に思ったほどではなかったです。気にしても仕方ないので。まあしょうがないかな、と。気持ちを切り替えました」

-アンプティサッカーを知ったのはいつですか?

「高校1年の時に新聞の記事を見て始めようかなと」

-実際にやってみて、どうでしたか?

「きついですね。今でも普通のサッカーよりもきつい。やっぱり上半身も使うので。一応、障がい者サッカーという名前なんですけど、結構ガチガチ競り合いもあるし、普通のサッカーくらい激しくぶつかれるので(そこが)いいところかなと思います」

-あのボールタッチは素晴らしい。でも左利きでない?

「がっつり右です。右足の方がやりやすいのはやりやすいですけど、左足もそこまで苦手じゃないんで」

-アンプティサッカー始めて、生活面でも何か変化がありましたか?

「やっぱり大会とか楽しみですし、運動はしたかったので。アンプティに出合えて良かったです」

-こういうスポーツがあることも知ってもらいたい?

「それはもう。海外では意外と有名だったりするので、日本でも知ってもらえるとありがたいなと。こういう速いプレーもできるんだと知ってもらえたらうれしいです」

-実際に上半身が使えないと速い動きができない

「そうです。基本的にスピードがないと。普通のサッカーもそうですけど、スピードがないとダメやと思うので、そこはうまく体を使うのが大事かなと思います」

-今後の目標は?

「ワールドカップで去年は10位でしたけど、3位以内には入りたいなと。自分がやっている間には。それが目標であります」

今年行った日本代表のポーランド遠征では、チームは6チーム中3位だったものの、萱島選手は大会最優秀選手(MVP)に選出された。圧倒的なボールテクニックとスピードを誇り、ジャンピングボレーなどのアクロバチックなプレーも得意。見る者の心をわしづかみにするものだった。

チャンスを演出するFC九州バイラオール萱島選手
チャンスを演出するFC九州バイラオール萱島選手

■ある機能を最大限に発揮

アンプティサッカーに触れ、あらためて「スポーツの力」に思いをはせた。ある日突然、昨日まで当たり前だった体の機能を失う。当たり前だった日常が奪われ、喪失感にさいなまれる。そこからどう生きていくのか? 前向きな人生を取り戻すため、スポーツに限ったことではないが、スポーツもまた1つの有効な手だてとなってくる。

「ない機能を嘆くのではなく、今ある機能を最大限に発揮する」

アンプティサッカーを紹介する言葉は、我々が生きる社会に対し大きな示唆に富む。老いがある人間は、何かを失いながらも、新たな活力を見つけては前へと歩み続けるものだ。

全力でボールを追う片足のフットボーラ-たち。どこまでも明るくすがすがしい姿に、ピッチサイドで見守るこちらが勇気づけられた。【佐藤隆志】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)