FC東京は27日、クラブのアドバイザーで元日本代表監督の石井義信さんが26日に亡くなったと発表した。79歳だった。死因は公表されていないが、昨年から体調を崩して闘病生活を送っていたという。広島出身の同氏は01年から現職、強化だけでなく運営全般をアドバイスし、長年に渡りクラブの発展に尽力した。選手たちは28日の名古屋戦で喪章を付けてプレーする。

 石井氏は東洋工業(現広島)のMFとして活躍。70年代にはフジタ工業(後の平塚、現湘南)監督として超攻撃的スタイルでタイトルを獲得し、サッカー界に旋風を起こした。86年に日本代表監督に就任すると、今度は現実的な守備的なスタイルを徹底。88年ソウル大会の予選で20年ぶりの五輪出場まであと1歩と迫った。その後も、平塚や日本協会で後方から強化と普及を支えてきた。

 現場を愛し、現場にこだわった。以前は毎日グラウンドに顔を出し、若手にも声をかけた。08年北京五輪代表は予選からアドバイザーとして全試合に帯同。メガネの奥の優しい目で「昔とは違うから」と言いながらも、的確な助言で若いチームを支えた。日本リーグからJリーグへ、日本サッカーの低迷からの発展に貢献してきた「恩人」がまた1人、旅立った。

 ◆石井義信(いしい・よしのぶ)1939年(昭14)3月13日、広島県福山市生まれ。広島・福山葦陽高卒業後に東洋工業入りし、MFとして黄金期に活躍。日本代表にも選ばれ、国際Aマッチ1試合に出場した。68年藤和不動産サッカー部に選手兼コーチとして移籍し、75年に名称変更したフジタ工業監督に就任すると、リーグ、天皇杯各2回優勝。86年に日本代表監督に就任し、87年の退任後はフジタ総監督、平塚(現湘南)強化部長、日本協会技術委員などを歴任した。