【ドーハ23日】頼れる背番号10番が五輪決定弾を決める。リオデジャネイロ五輪アジア最終予選を兼ねるU-23(23歳以下)アジア選手権に出場中の日本は前日22日、イランとの準々決勝で3-0で勝利。1-0の延長後半にMF中島翔哉(21=東京)が芸術的なゴールを2発放ち、難敵を沈めた。4強入りした日本は、勝てば6大会連続五輪出場が決定する26日の準決勝で、イラクとUAEの勝者と対戦。目覚めた小さな巨人が鍵を握る。

 五輪出場に王手をかけた。日本中が歓喜に沸いたイラン戦から一夜明け、中島ら先発組は宿舎のプールで回復に努めた。

 中島の2発で120分間の死闘を制した。1-0で迎えた延長後半4分、ペナルティーエリアの左外から右足でミドルシュート。ボールはきれいな弧を描いてゴール右隅に吸い込まれた。勝利を引き寄せる追加点。MF遠藤に抱き上げられ「背が高くなった」と照れた。

 その71秒後。GKの位置を見ず「感覚でシュートを打った」と再びミドルをゴール左隅へ運んだ。手倉森ジャパン最多を更新する14点、15点目(21試合)を連発。五輪代表としては、通算14点のシドニー世代の中村俊輔(26試合)アトランタ世代の前園真聖(32試合)を抜いて歴代単独2位に浮上した。

 14年のU-19日本代表のスペイン遠征でも同年U-22アジア選手権でも弾丸ミドルを突き刺した。共通点はGKを見ないこと。打つ前にゴールを見るとGKに読まれるからだ。視線を送らなくても決められる。

 東京Vジュニアユース時代。GKの位置に立ち、捕球しづらいコースを覚えた。14年に移籍したJ2富山でも、全体練習後に1人で5時間黙々とボールを蹴り続けた。大舞台で放った芸術的なシュートは、幼い頃からの積み重ねの結晶だった。昨年9月、ラグビーW杯イングランド大会で歴史を変えた日本が猛練習をしたことを知った。「練習が結果につながる」という確信が土台にある。

 1次リーグでは苦しんだ。なかなか得点が奪えず背番号10が重かった。しかしイラン戦の2発で「両方ともで感覚を取り戻したのかな。迷いがプレーを邪魔していた。迷いが取れるきっかけになれば」と晴れやかな表情になった。準決勝は五輪出場が懸かる。中島が力強いシュートでリオへの道を切り開く。【小杉舞】

 ◆中島翔哉(なかじま・しょうや)1994年(平6)8月23日、東京都生まれ。6歳でサッカーを始め、東京Vの下部組織に加入。高校3年の12年10月にプロ契約を結び、直後のJ2栃木戦でJリーグ史上最年少となる18歳1カ月28日でハットトリックを達成。14年に東京に完全移籍後すぐに富山に期限付き移籍。同年8月に東京に復帰。昨季はJ1で13試合1得点。164センチ、64キロ。