鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)が、今季限りで現役を引退することが27日、分かった。クラブが公式ホームページなどで発表した。

来年4月で40歳になる鹿島の象徴が、ユニホームを脱ぐ決断をした。岩手・大船渡高を卒業し98年に鹿島入り後、海外でプレーした1年間を除いてJリーグでは鹿島一筋。若手選手が「満男さんがサボっていないのにサボれない」「満男さんのために」と常日頃から口にするように、背中でチームを引っ張る精神的支柱だった。鹿島20冠のうち17冠を経験しており、その存在はピッチ内外で選手たちに大きな影響を与えていた。今季途中からは膝の痛みに悩まされ本領を発揮できずにいたが、痛みがあろうとも練習を欠かさない姿は、全選手のお手本になっていた。8月にテクニカル・ディレクター(TD)として16年ぶりにチーム復帰したジーコ氏とは長らく師弟関係にあり、「献身、誠実、尊重」の3つを掲げる「ジーコ・スピリット」の継承者でもあった。

21年間のプロ生活では輝かしい功績を収めてきた。3年目の00年には天皇杯決勝(01年元日)で延長Vゴールを奪うなど活躍し、クラブ初の3冠に貢献した。翌01年にはチャンピオンシップ(CS)で直接FKの延長Vゴールを決めリーグ連覇に貢献し、自身も2年連続でCSのMVPに輝いた。この年から5年連続でJリーグベストイレブンに選出。02年には代表デビューも果たし、同年の日韓W杯と06年のドイツW杯に出場した。

06年夏にはイタリア・メッシーナに期限付き移籍し、海外でも経験を積んだ。翌年鹿島に復帰すると、そこからリーグ3連覇を成し遂げ、自身は09年にJリーグ最優秀選手(MVP)に輝いた。プロ入り当時は司令塔として活躍していたが、チームの変化に応じてボランチとしても開眼した。11年の東日本大震災後は発起人の1人として「東北人魂を持つJ選手の会」を立ち上げ、東北地方のサッカーの発展にも奔走するなど故郷への思いも忘れなかった。

ラストイヤーとなった今季は、クラブの悲願だったアジア王者の称号を手にし、イランの地でトロフィーを掲げた。J1通算出場試合数525試合は歴代6位。鹿島、ひいてはJリーグの歴史を知る偉大なプレーヤーが、現役生活に幕を下ろした。

公式HPを通じつづった小笠原のコメントは次のとおり。

「今シーズンをもって、鹿島アントラーズで現役生活を終えるという決断をしました。これまで自分を支えてくれた方々、一緒に頑張ってきた選手達、応援してくれたサポーター、鹿島アントラーズに関わるすべての方々に感謝しています。鹿島アントラーズという素晴らしいチームでここまでプレーでき、鹿島アントラーズでサッカー選手として引退できることを、とても嬉しく、そして誇りに思います。本当にありがとうございました!」