希望の光よ、再び-。J1ベガルタ仙台は明日27日、サンフレッチェ広島との開幕戦(午後2時キックオフ、エディオンスタジアム広島)を迎える。青森・五戸町出身で2013年以来8季ぶりに復帰した手倉森誠監督(53)が、今季初陣を前に日刊スポーツなどのインタビューに応じた。東日本大震災が発生した11年に4位、12年にクラブ最高順位の2位と押し上げたレジェンド指揮官が、震災10年の節目に昨季17位からの下克上ストーリーを描く。【取材・構成=山田愛斗】

手倉森監督は運命に導かれるように仙台へ帰還した。08年からの6季にわたる1次政権では09年にJ2優勝と昇格、天皇杯4強、11年にJ1で4位、12年に同2位、ACL出場権獲得と数々のクラブ史を塗り替えてきた。「また東北の地で仕事をさせてもらうときに東北人の魂を全国に表現しなければならないという気にはなっています」。1月25日から今日26日まで宮崎県内(西都、延岡、宮崎)で33日間続いたキャンプを打ち上げ、決戦の地である広島へ直接向かう。

手倉森監督 いよいよ始まるなという気持ちなのと、キャンプ地からそのまま広島に乗り込むのはちょっと残念だなという気もします。仙台の期待を感じて現地に入りたい思いはあるが、それがかなわない。ただ間違いなく期待してくれてるだろうから勝って帰らないといけない。キャンプの成果をアウェー広島戦で勝利という形で取って帰りたい気持ちになっています。

J1に在籍する過去13年間の開幕戦戦績は8勝4分け1敗。14年にアルビレックス新潟(現J2)に敗れて以来6年間無敗を継続している。4位で終えた11年は今季と同じアウェー広島戦で幕を開け、引き分けで勝ち点1を獲得。その後、震災でリーグが一時中断したが、再開後初戦のアウェー川崎フロンターレ戦で劇的勝利を飾ると、被災地に勇気や希望を届け、開幕12戦負けなしと勢いに乗った。今季はホーム開幕戦、3月6日の第2節は昨季J1王者の川崎Fと激突。10年前と同じ2連戦が待つ。

手倉森監督 誰がつくったシチュエーションなのか、広島の開幕とホームの開幕が川崎戦という震災から10年の節目の対戦スケジュールは、まさしくその当時を思い出さされるというか「あのときのようなことをやってみせろ」と言われているようなシーズンの入り方だなと感じています。

昨季は年間ホーム未勝利(7分け10敗)で、13年大分トリニータ、14年徳島ヴォルティスに次ぐ3チーム目の不名誉記録を残した。それでも指揮官はJ2時代の09年にホーム12連勝含む同23戦無敗記録を打ち立てているだけに、ユアテックスタジアム仙台で新たな「神話」誕生が期待される。

手倉森監督 去年、ホームで勝てなくて1発目が王者川崎で、ものすごくビッグなゲーム。そこで何か起こすことができれば去年、残念な思いをさせた分の思いをすべて払拭(ふっしょく)し、チームは走りだすんじゃないかというぐらい大事な試合になると思います。

チーム始動時から「希望の光になる」というフレーズを選手たちと共有し、躍進した当時の映像、復興へともに戦うサポーターの映像を見せ「自分たちにはこういう役割があるんだ」と気持ちを1つにしてきた。

手倉森監督 希望の光になろうとしたときに必要なのはまとまりで、それはみんなが示してくれている。あとはシーズンに入ったときに1つでも多くの勝利を被災地東北に届けることと、去年、勝つことが難しかったホームで過去ホーム23戦無敗記録をつくった自分としてはその再現を果たしたいと思います。

節目の1年に杜(もり)の都から新たな光を放つ。

◆手倉森誠(てぐらもり・まこと)1967年(昭42)11月14日生まれ、青森県五戸町出身。双子の弟浩とサッカーを始め、漫画「キャプテン翼」の立花兄弟のモデルになった。現役時はMF。五戸高、住友金属(現鹿島アントラーズ)、鹿島、NEC山形(現モンテディオ山形)でプレー。95年に引退し指導者転身。山形、大分を経て04~07年に仙台コーチ、08~13年に仙台監督。14~16年にリオデジャネイロオリンピック(五輪)日本代表監督、14~18年に日本代表コーチ(五輪代表兼任含む)。19~20年にV・ファーレン長崎監督。監督通算戦績はJ1が50勝47分け39敗、J2が90勝42分け45敗。