G大阪のFW播戸竜二が、27歳で初の日本代表入りを果たした。練習生からプロ契約をつかんだ男の高校時代、挫折…など知られざる姿を「播戸、27歳の挑戦」と題し、今日から3回にわたって連載する。第1回は兵庫・琴丘高校時代からプロ入りまでを紹介する。

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1995年春。琴丘高に入学した播戸は、サッカー部の樽本直記監督に会うなりこう言った。「ボク、プロになりたいんです。どうしたらプロになれますか?」。原因不明の多臓器疾患を発病し、心臓にペースメーカーを付けてようやく本格的な指導ができるようになっていた樽本監督は、生きのいい少年との出会いにワクワクした。

「学校から家まで1番遠い子が最初に来て、最後まで練習していた。授業中は体力を蓄えるとか言って寝ていたけど」(樽本監督)。

兵庫県神崎郡の自宅から学校まで1時間半。それでも、朝7時にはグラウンドに姿を現し、放課後は真っ暗になるまで練習した。播戸が3年生になったある日。グラウンド中に響く大声で、下級生を怒鳴りつける姿があった。「やる気のないヤツは出て行け!」。時にはチーム内で浮いてしまうほど、他人にも自分にも厳しかった。

プロになるために必死だった。大学進学の勧めにも「プロになれないならブラジルに行く」と譲らなかった。3年の近畿大会1回戦(北陽戦)で2得点、2回戦(初芝橋本戦)でも3発を決め無名の少年はプロの目に留まった。念願の契約をG大阪と結んだが、練習生とあって月給わずか10万円。G大阪の二宮スカウト(現育成普及部課長)は「『金はいらん。とにかくチャンスをくれ』という感じだった。交通費を考えれば赤字だろうが、文句は言わなかった」。それが播戸の原点だった。【サッカー担当=益子浩一】

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