元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が1日、80歳でこの世を去った。哲学的な言い回し、独自の練習法などで「日本代表の日本化」を目指した知将。日本への愛も深く、脳梗塞で倒れて退任後も、その思いは多くの関係者に受け継がれている。数々の証言から、その功績を見つめ直す。

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オシム氏のもと、市原(現千葉)でコーチを務めた江尻篤彦氏(54=現J2東京ヴェルディ強化部長)は「常に怖かった」とオシム氏について語る。

190センチ超の巨漢で、相手を射抜くような鋭い眼光。「駆け出しのコーチだった」という江尻氏は、選手でもないのに同僚の小倉勉コーチとともに練習で走らされた。「『お前ら2人が俺の戦術を理解していない』って言われて走らされて。それを見て選手が笑うという。そういうチームマネジメントがうまい方だった」と振り返る。

厳しさの半面、優しさや配慮のある指揮官でもあった。オシム氏がジェフに合流したのが03年シーズン前の韓国キャンプ。初対面で「お前が江尻だな」と名前で呼ばれ、「古河時代からのレジェンドであるお前が意識を変えない限り、クラブは変わらない」という話をされた。江尻氏はすべてリサーチ済みだった指揮官に「頭を殴られたような衝撃を受けた」という。

小倉コーチと2人で試合のメンバーを決めさせられたこともあった。江尻氏が外す決断を下した選手について、オシム氏は「奥さんはいるのか? 子供は何歳なんだ? そういう選手を今、外していいのか?」というところまで気に掛けていた。また若い選手の名前を挙げて「この前の練習試合ですごく走ってたな。そういうのを見てあげていないのか?」と言われることもあった。

練習への道中は行きつけの中華料理店で食事をともにし、オシム氏の自宅で酒を酌み交わした際には、お手製のおつまみを振る舞われた。濃密な時間を過ごし、江尻氏はサッカーだけでなく「人生観まで学ばせてもらった」という。

オシム氏は当時から「サッカーは今、純粋じゃない。お金が絡んだり、政治が絡んだり、宗教が絡んだり、戦争が絡んだり…」という話をしていた。江尻氏は「もし最後に会話ができていたのなら、ロシアのウクライナへの侵攻をどう思っているか聞いてみたかった。オシムさんは悲しんでいると思う。(ボスニア紛争で)自分が育った町のスタジアムが戦場になったという話を聞かされていたので」と話し、オシム氏をしのんだ。【千葉修宏】

◆江尻篤彦(えじり・あつひこ)1967年(昭42)7月12日、静岡県生まれ。清水商-明大から90年に日本リーグ古河電工(現千葉)入り。主にMFとしてプレーし、93年には日本代表にも選出された。Jリーグ通算193試合24得点。98年の引退後、指導者に転身。00年から千葉トップチームのコーチ、07年からはU-23日本代表コーチも務めた。09年に千葉コーチに復帰。シーズン途中、ミラー監督の後任として監督に就任した。19年に2度目の千葉監督就任。20年1月から東京Vの強化部長。

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