セレッソ大阪の元日本代表MF清武弘嗣(32)が28日に、J2の琉球でプレーする弟功暉(31)とともに、出身地である大分県の小学生を対象にした大会「KIYOTAKE CUP」を開催した。記念すべき第1回大会には地元の7チーム、選手約100人が参加した。清武兄弟と小学生が一緒に行うスクールやエキシビションマッチも行われた。終了後にはMVP選手に、サインが入ったC大阪のユニホームがプレゼントされた。ワールドカップ(W杯)も経験した元日本代表が、故郷大分に寄り添うわけを取材した。

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清武弘は、27日のリーグ広島戦(ヨドコウ)でけがからの復帰を果たすと、翌28日、朝一番の飛行機に飛び乗った。大分市で育った小学生の頃、兄弟で試合でよく訪れた豊後大野市の「サン・スポーツランドみえ」へ。当時と変わらない風景。小学生たちが懸命にボールを追っていた。

午後のスクールでは、子どもたちに交じって体を動かした。2人1組で行うドリルになると、自身とペアになった子に周囲から「いいなあ! 清武選手と」と声が飛んだ。お手本を見せると「筋肉すげえ!」と子どもたちが驚いた。エキシビションマッチでは味方に浮き球でボールを出した。「鬼パス、エグい」。思わず笑みがこぼれた。終了後は「やっぱり楽しいですね、子どもたちとサッカーするの」と、笑顔で汗を拭った。

地元の子どもたちのために何かできることはないか-。

ずっと胸にあった思いが大きく膨らんだのは、長男が小学校に入ってサッカーを始めたことがきっかけだったという。

 

多くの指導者や、保護者とも知り合った。現在の拠点は大阪。地元の大分がどんな状況にあるか気になった。「今の年齢でも、自分が伝えられることはあると思った」。その思いは、自身の名がついた大会という形でひとつ実った。

日本代表として活躍し、ロンドン五輪やW杯も経験した。ドイツとスペインで欧州組としてプレーした。選手として、そうした後輩が大分から生まれてくれることも、願いのひとつ。ただ実際に子どもたちを前にして、より伝えたかったことを言葉にした。「あきらめないでください」と。

真意をたずねると「サッカーでなくても、勉強でも英会話でも水泳でも、やりたいということでも、確実に楽しいことばかりじゃない。そんな時に『ここでいいか、これくらいでいいか』とならないでほしい」と明かした。

小学生時代はリフティングを深夜まで庭で練習したこともあった。「小さな頃から諦めるクセを持っていたら、大人になった時に響くと思うんです。自分自身、負けず嫌いで諦めなくてよかったと思うことはある」。

現在、小学生を取り巻く環境には、多くの情報があふれている。以前とは比べものにならない。SNS、YouTube…。一流のプレーを簡単に見ることができる。ただ、ちょっとマネをしてみて、できなければすぐ興味がなくなって次へ-。そんな光景も少なくない。「自分で考えてやってみる、というのが少し減っている気がする」と言う。

たとえ時間がかかっても、根気よく取り組んで得たものは一生の力になる。自身が強く感じていることを子どもたちに伝えたかった。来年以降も、可能であれば大会を続けるという。「少しでもいい経験、吸収できる大会になれば」。帰りの車に乗り込む寸前まで、写真やサインを求めて追いかけてくる子どもたちと笑顔で触れ合った。最後に「頑張れよ!!」と声をかけた。それはまるで、子どもたちからパワーをもらい、自分自身に向けた言葉のようでもあった。【岡崎悠利】

◆清武弘嗣(きよたけ・ひろし)1989年(平元)11月12日生まれ、大分県大分市出身。大分の下部組織で育ち08年トップ登録。10年C大阪へ移籍。12年にブンデスリーガのニュルンベルクへ。14年にハノーバー、16年スペイン1部の強豪セビリアに移籍。17年にC大阪に復帰した。日本代表として、14年W杯ブラジル大会を経験するなど、国際Aマッチ43試合5得点。3兄弟で弟功暉もJリーガー。173センチ、66キロ。