J2新潟が3万2979人のホーム大観衆の前で6年ぶりのJ1復帰を決めた。引き分け以上でJ1自動昇格圏2位以内が決まる仙台戦に3-0の完勝で勝ち点を81に伸ばした。3試合を残し勝ち点69の3位岡山との差を12とした。ここまでピッチ内外でチームを支えてきたのは主将、DF堀米悠斗(28)。下部組織から過ごした地元の札幌をJ1に昇格させた翌17年にJ1だった新潟に移籍もまさかのJ2降格。5年間の苦しかった思い、そして来季J1舞台への思いを熱く語った。

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試合終了のホイッスルが鳴り、張り詰めていた空気が緩んだ瞬間、堀米悠斗主将(28)はあふれ出る涙を止めることができなかった。チームメートのはしゃぐ姿、スタッフの笑顔、そしてビッグスワンに詰めかけたサポーターの歓喜…。

前夜、考えていた言葉は最後までまとまらなかった。キックオフ前、ロッカー室で円陣を組んだ際には「伝えたいことがありすぎて…。ただ、やるべきことはみんなが理解していた。絶対に勝って昇格しようとだけ伝えた」。

この日は後半29分から途中出場し試合を締めた。3得点での完勝で2試合を残し昇格を決めた。「ここ(これまで新潟)にいた選手たちが一番に頭に浮かんだ。いい報告をできることがうれしい」と喜んだ。

<加入1年目に降格>

堀米 J1でずっと戦っていた新潟で4バックのサイドバックで勝負したいと移籍を決断した。昇格と降格を繰り返しているならともかく、14年間J1にいた新潟が自分が来たタイミングで落としてしまった。責任を感じていた。最低でも戻すところまでは責任をもってやらないと。移籍しようとは全く思わなかった。リハビリ中もチームに貢献できずに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。所属したすべての人がJ1を目標に頑張ってきた。上のカテゴリーに移籍した選手も精いっぱいプレーし、評価されて移籍した。ある意味、誇らしい。苦しい5年の間、お互いが刺激をしあえた。いい報告をしたいと強く思って頑張った。

<監督交代が続いた>

堀米 監督がやりたいサッカーを表現しきれなかったのは選手の責任。試合に出る、出られないにかかわらず同じ目標をもった仲間。交代のたびに悔しい思いをしてきた。得意、不得意はある。自分には今のスタイルは合って追い風も、苦労する選手はいる。大事なのはそこから逃げないこと。今はみんながトライし、誰が出ても結果を残している。この5年ですごく伸びた。何をやっても勝てないという感じはなく、紙一重の差。勝負強さの差さえ、縮められれば局面を打開できる、上に行けると感じていた。

<松橋監督1年目>

堀米 (前監督)アルベルトが作ったベース。路線は間違いなかったが、正直になりすぎていた。相手の裏をかく、正直者ではない細かい駆け引きを使えるようになった。そういう部分がうまくなっているからいいゴールが生まれたり、数的不利でも守り切れたりとか。リキさん(松橋監督)の指導で、あと1歩のところを改善していったと今は感じている。今季開幕4戦未勝利も手応えがあった。リキさんが「昇格ではなく、さらにその先を目指す」と宣言した時点で自分たちの目標は上がった。監督が引っ張ってくれた。

<J1への決意>

堀米 やっぱり必死にプレーしている姿。アルビの良さ、アイデンティティーはなくしたらダメ。ボールを追いかける、体を蹴られてでもゴールを守る。勝利への強い気持ちは絶対必要。全てのレベルが1段も2段も上がる。オフの過ごし方、ここから勝負は始まる。J2で地道に作り上げてきたサッカーで結果を出して、新潟のサッカーをおもしろいと思って欲しい。

◆堀米悠斗(ほりごめ・ゆうと)1994年(平6)9月9日生まれ、北海道出身。札幌の下部組織で育ち、12年Jユース杯で主将として優勝。世代別日本代表でも10年U-16アジア選手権出場。13年に札幌のトップチームに昇格し、新人ながら副主将に。14年にJ3福島に期限付き移籍し、15年に札幌復帰。17年に新潟に完全移籍した。J1通算24試合0得点、J2通算218試合6得点(8日現在)。168センチ、67キロ。