Jリーグ最多の157得点を誇る元日本代表の札幌FW中山雅史(45)が、今季限りで現役引退する決意を固めたことが3日、明らかになった。Jリーグ草創期からゴンの愛称でサッカーファンを魅了。代表選手としても、カズとともに日本サッカー界を支えた男が、引退の決意を固めたもよう。近日中にも、発表し会見となる見込みだ。現役にこだわりピッチに立ち続けたが、無理をおしてきた傷だらけの体を、ついに休める。

 元日本代表で、日本サッカー界の発展期を強烈な個性と多くのゴールで沸かした中山が、ピッチから去ることを決断した模様だ。今季、札幌でのシーズン終了後、現役続投か引退かの結論を保留していた。近日中にも発表し、引退会見の場で、悩み抜いた心中を明かすことになりそうだ。45歳まで走り抜いた現役プロ生活19年に、幕を閉じる。

 ゴン中山の登場は、世間の注目を集めた。Jリーグ発足が決まり、日本代表としてW杯初出場を目指し沸いた94年米国大会アジア予選。キングカズとともに、日の丸を背負い長髪をなびかせ、がむしゃらに貪欲にゴールを狙う姿に、サッカーファンだけじゃなく多くの人々の関心を呼んだ。途中出場から試合を盛り上げる姿に「スーパーサブ」を定着。「ゴン」の愛称で親しまれ、ユーモアあふれるコメントを発するキャラクターで、CMなどにも出演した。W杯切符を逃した「ドーハの悲劇」では、失点シーンで倒れ崩れる姿は、20年近くたった今でも流される。

 J元年の翌年94年から磐田のストライカーとしてJリーグに参入。抜群の得点力と、知名度で見るものを魅了した。たくさんの「ゴンゴール」にファンは酔いしれた。得点王2度(98年、00年)は当時史上初めて。98年には4試合連続ハットトリックでギネス記録にも認定。J通算157ゴールは、いまだ誰にも破られていない歴代1位だ。

 一方で度重なるけがと手術の連続で、何度も離脱を繰り返した。膝、足首、腰、股関節…。それでも、いつだってピッチに舞い戻ってきた。「痛くないところなんて、もうないよ」と体が悲鳴を上げても、ピッチに立ち続けた。それが、中山のやり方だった。

 徐々に出場機会を減らしてきた09年、磐田を退団。引退の選択肢も頭に入れながら、複数のオファーの中から当時J2の札幌を新天地に選んだ。1年目こそ逃したが、2年でJ1に昇格。今季は11月24日の横浜戦で後半45分から途中出場を果たした。得点にこそ絡まなかったものの、45歳2カ月1日でJ1最年長記録を樹立。1092日ぶりのJ1の舞台に、試合後は「もっとボールに絡まないとね。パス1本だけど、成功させた」と、喜びをかみしめていた。

 引退後の活動は未定。もし、指導者の道を選ぶのであれば、Jクラブの監督に必要なS級ライセンス取得のため、しばらくは指導の勉強に励むことになる。また、知名度とキャラクターを武器にタレント業に進む可能性もある。

 いずれにしても、不屈の闘争心でファンに感動を与えた希代のストライカーが、強烈な印象を記憶に残して、ピッチを去る。

 ◆中山雅史(なかやま・まさし)1967年(昭42)9月23日、静岡県志太郡岡部町生まれ。小4でサッカーを始め、藤枝東-筑波大を経て90年にヤマハ(現磐田)入り。94年にJ昇格以降、獲得したタイトルは98年にリーグMVP、得点王2回(98、00年)、ベストイレブン4回(97、98、00、02年)。オールスターでのMIP3回(01、05、07年)は最多。J1通算355試合出場157得点。J2通算12試合無得点。日本代表通算53試合21得点。W杯は98年フランス大会、02年日韓大会連続出場。178センチ、72キロ。血液型はO。家族は女優の生田智子夫人と1女。