プレーバック日刊スポーツ! 過去の10月23日付紙面を振り返ります。1999年の終面(東京版)はセリエA史上初の日本人対決「中田ペルージャ対ベネチア名波」を伝えています。

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 セリエA史上初の日本人対決「中田ペルージャ対ベネチア名波」が今日23日、ペルージャのホーム、レナト・クーリ・スタジアムで行われる。興味ある対決にベネチアの地元紙が22日付の紙面で、名波浩(26)が中田英寿(22)を批判したと報じた。世界最高峰セリエAで対決する日本人選手2人にとってゲーム前に戦いの幕は上がった。

 ベネチアの地元紙、イル・ガゼッティーノとヌオバ・ベネチアの2紙はそろって、スポーツ面のトップ記事として「名波、中田を攻撃」というセンセーショナルな見出しをつけていた。日本人対決を前にした名波のコメントとして「代表でも一緒に戦った中田とは友人だ。素晴らしい選手ではあるけど、セリエAに来てから自分(中田)のことを優秀でスーパーマンのように感じているのではないか。僕は普通の人間だけど」と紹介している。

 21日のベネチアの練習後、2紙の記者は名波を取り囲み取材を行った。事前に取材があることを聞いていなかった名波は、先にロッカールームに入っていた。記者たちはルチアーノ・スパレッティ監督(40)とジュゼッペ・マロッタGM(42)を仲介に名波を呼び出し、取材したが、居合わせた関係者によると「雰囲気は悪かった」と証言。名波の本意が伝わらなかったのかもしれない。

 22日早朝に、名波はベネチアの選手と一緒にバスでペルージャへ出発したが、寝食を共にする日比威マネジャー(25)によると「そんなことを言うわけがない。僕との会話でも名波さんは、中田のことを『強くて速い、すごい選手』と、よく言ってますから」と困惑の表情を浮かべた。

 インテル戦(17日)で左ボランチのレギュラーを獲得。21日の練習でも右CKはもちろん、左CKも任せられるなど、スパレッティ監督の信頼を不動のものにしている名波。これまではこの一戦に関して「アウエーという環境も含め、あまり気にしていないよ」と、答えていた。

 セリエA史上初の日本人対決となる名波、中田のグラウンドでの対決直前、本人たちの意思とは別に、イタリアのスポーツマスコミが紙上で戦いの幕を開けた形になった。名波、中田の存在がセリエAで大きくなっている証拠だ。

◆ベネチアのこれまでの戦いぶり

 開幕戦は途中出場の名波のアシストからFWマニエロが同点弾を突き刺し、ウディネーゼと1―1で引き分けた。FKから、逆転を狙った名波のシュートがポストに当たる惜しいシーンもあった。第2節は名波の出番がないままトリノに1―2で敗れた。

 第3節では、名波はアシストを記録したが、ローマに1―3で完敗。続くカリアリ戦は1―1で引き分けた。第5節のユベントス戦は圧倒的に支配されながら我慢をしていたが、後半45分に失点し、0―1で敗れた。

 なかなか調子が出なかったが、今季初勝利は優勝候補インテルから挙げた。第6節で、名波は初めてのフル出場。ロナウド、ビエリ、サモラノ、バッジオらを抑え、1―0で勝った。ボランチで起用された名波も高く評価された。

<日本での中田vs名波>

 ▼通算成績

 初対決はお互いが平塚、磐田に入団した1995年(平7)6月24日のJ

リーグ第1ステージ第19節(福井)。Jリーグ(ナビスコ杯含む)で7回

対決し、名波の4勝3敗。

 ▼得点

 名波0、中田1。2度目の対戦、95年9月16日のJリーグ第2ステージ

第10節(磐田)で、中田は前半38分にMFエジソンのスルーパスに反応

し、ゴールを決めた。

 ▼アシスト

 名波3、中田5。初対決では名波が2アシストし、4―1で圧勝したが、そ

の後は中田がコンスタントに得点に絡む働きを見せている。

 ▼激闘

 最終対決となった97年7月12日のJリーグ第1ステージ第15節(平塚

)は名波と中田の激闘になった。前半38分に名波が奥に先制アシストを決

めたが、後半32分に中田が反町に同点アシスト。延長前半12分に中田が

CKから名塚に合わせ、平塚がVゴール勝ちを収めた。試合終了までの10

2分間、2人ともピッチを離れることなく、名波は3本、中田はチーム最多

4本のシュートを放った。

※記録と表記は当時のもの