マスクを外せば、罰金3万円。一時はレストラン、屋台などでの外食が禁止となった。外出は2人まで-。そんな時期もあった。日本から約5000キロ離れたシンガポールでは、厳しいコロナ対策が取られる。赤道直下。マレー半島の南端。1年中、夏の気候の地で、汗を流す日本人サッカー選手がいる。

DF橋岡和樹(24)は20年シーズンから、アルビレックス新潟シンガポールに所属する。それまで、海外には、ほとんど行ったことがなかった。異国の地でのプレー。「日本とあまり変わらないですよ」と笑った。「安全性も高いですし、きれいな国。違うのは季節ですかね。ずっと夏なので」と続けた。

父和正さんは野球、母深雪さんは陸上の選手だった。いとこの橋岡優輝(22)は、男子走り幅跳びの選手。6月27日の日本選手権で優勝し、東京五輪代表に内定した。弟・大樹(22)は、自身と同じく右サイドバックが主戦場のプレーヤー。浦和の下部組織から浦和でトップデビューを飾り、今季からシントトロイデンに移籍。東京五輪に出場するU-24日本代表にも選出された。

華麗なるスポーツ一家に生まれた和樹。自身も弟と同じく浦和の下部組織で育ち、そこから明大に進学。ただ、卒業後は1度、サッカーから離れた。「弟に対して、ねたみとかは全くなかった。ただ、1つのモチベーションではあった」。1年後、再びピッチに戻った。Jリーグのさまざまなクラブの練習に参加。場所はどこでも良かった。「需要があるチームに行けるのが一番」。もともと、海外志向はあった。英語は話せなかったが、迷いはなかった。シンガポールへ向かった。

1年が経ち、腕にはキャプテンマークが巻かれる。ミーティングでは、他の選手へ向けてまず日本語で話し、その後に英語で説明。去年の6月からオンラインで、フィリピン人の先生に英語を学び始めた。練習後に1日、1回。約25分のレッスン。どれだけ疲れていても、週5回は欠かさず、英語力を鍛えた。ただ、プレー中はうまくはいかない。「とっさに日本語が出てしまいます(笑い)。中切れとか、サイドに持って行けとか。外国人選手に日本語で言ってしまいますね」と笑った。

磨かれたのは言語力だけでなく、人間力も。昨夏、シンガポールではコロナによるロックダウン(都市封鎖)が実施された。行動に制限がかかる中、動いた。知り合いを通じ、シンガポールに住む異業種の日本人とオンラインで交流を深めた。駐在員、人材派遣を展開する経営者、生花店…。サッカーとは、かけ離れた仕事人との会話で気付いた。「ほとんどの方がおっしゃっていたことは『どんなことをしても、ツールは違うだけで、目指している先は同じ』ということ」。どこの地にいようと、サッカーへの熱は冷めることはない。

都市部から少し離れた地方のコンドミニアムで、計4人で生活する。「都会のご飯は、日本の2倍くらい。ビールも1杯、1200円くらいですけど。僕らが住んでいる場所の近くの屋台は2、3ドルくらいで、おいしいご飯が食べられますよ。300円くらいですかね」。笑顔で説明する表情に、充実度がにじみ出ていた。「どこの国にいても、サッカーはしたいですね」。弟、いとこは東京五輪代表選手。橋岡和樹は、さんさんと太陽を浴び、自分らしい色の「メダル」を光り輝かせている。【栗田尚樹】