[ 2014年2月7日9時35分

 紙面から ]女子モーグル予選前練習で足を負傷した伊藤は関係者に担がれ引き揚げた<ソチ五輪:フリースタイル>◇予選1回目◇6日◇女子モーグル

 フリースタイルスキー・女子モーグルの伊藤みき(26=北野建設)が、6日の予選1回目を棄権した。直前の公式練習で第2エアの着地時に、昨年12月に前十字靱帯(じんたい)損傷の大けがを負っていた右膝を再び痛めた。自力で立てず、救急車で宿舎に搬送された。予選2回目は8日。けがの回復具合を見て、出場の可否を決断する。

 ソチで再び悪夢に襲われた。予選1回目の公式練習。伊藤は第2エアのバックフリップの着地で、右膝に激痛を感じ、倒れ込む。昨年12月に前十字靱帯損傷の大けがを負った箇所。ヘルメットは何とか脱いだが、自力で起き上がれない。「誰か来てください!」と悲痛な叫び声を上げる。駆けつけた2人のスタッフに両脇を抱えられ、ざわめく会場を後にした。

 控室では林監督に泣きながら「やめます」と棄権を伝えた。自力では歩けないため、救急車で宿舎に搬送された。奥脇ドクターは「着地の衝撃で痛めた。前と同じところです。ショックで話はできない状態だった」と状況を説明した。

 昨年12月、遠征先のフィンランドで右膝前十字靱帯損傷、全治8カ月の大けがを負った。しばらくは腫れがひかない膝をかばい、つえをついて歩いた。それでも年明けから雪上での練習を再開。簡単に夢は捨てられない。1月中旬にはW杯を転戦する日本代表に再合流した。

 米レークプラシッドでの練習中には、痛みに悲鳴を上げ、コース脇でうずくまることもあった。それでも「予想の範囲内」と決して弱音をはかない。「私はモーグルが好き。モーグルで勝ちたい。この右膝で挑戦すればいい。自分の気持ちは折れていない」。今季W杯未参戦のまま、ぶっつけで五輪本番に臨んだ。

 けがからわずか61日、執念でソチのコースに立った。選手村では、日本選手団主将でジャンプの葛西に「見に来てください」と誘った。覚悟の本番だったが、予選1回目を滑ることはできなかった。

 予選2回目は8日。けがの回復具合を見て、出場の可否を判断する。林監督は「『出たい』と言っても、簡単に出すわけにはいかない」と厳しい見通しを示しながらも「あれだけ早い回復をしてきた選手なので」と、奇跡の回復にわずかな期待を寄せた。

 ◆伊藤みき

 1987年(昭62)7月20日、滋賀・日野町生まれ。3歳でスキーを始めた。父公英さんの指導で日野小1年からモーグルを始め、日野中3年でナショナルチーム入り。近江兄弟社高から中京大に進学し、10年北野建設入社。高校3年時の06年トリノ五輪は20位。10年バンクーバー五輪は12位。フリースタイル界では姉あづさ、妹さつきと「モーグル3姉妹」として有名。162センチ、51キロ。血液型A。<伊藤みきの故障後>

 ◆転倒

 昨年12月7日、遠征先フィンランドでの練習中にエアの着地で失敗して転倒し、右膝を痛めた。11日に帰国した。

 ◆アインシュタイン

 帰国翌日の12日、自身のツイッターに「困難の中にチャンスがある」という意味のアインシュタインの言葉を記し、五輪出場を諦めないという強い気持ちを示す。

 ◆靱帯損傷

 全日本スキー連盟(SAJ)は13日、伊藤が負傷した右膝の検査結果を「前十字靱帯損傷」と発表。

 ◆「死んでない」

 伊藤が都内で会見。医師からリハビリと手術で全治8カ月と診断されたこと明かした上で「私は死んでない。すべてがなくなったわけではない。この足で勝ちにいくよう取り組みます」と、五輪出場を目指すと明言した。

 ◆出発

 1月31日、伊藤がソチ五輪に向け成田空港を出発。正月に雪上練習を開始し、数日前の合宿でエアを飛んだと明かし「自分のパフォーマンスを上げて、自分に挑戦することで、その先にメダルがある」と意気込む。