プレーバック日刊スポーツ! 過去の12月7日付紙面を振り返ります。1998年の1面(東京版)は女子マラソンの高橋尚子がバンコク・アジア大会で金メダル獲得でした。

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<アジア大会:陸上・女子マラソン>◇1998年12月6日◇タイ・バンコク

 シドニー五輪の金メダルが見えた!女子マラソンの高橋尚子(26=積水化学)が“夏マラソン”としては驚異の2時間21分47秒の世界歴代5位の好記録で金メダルを獲得した。自ら持つ日本記録を一気に4分1秒も短縮したばかりか、35キロ地点まではテグラ・ロルーぺ(25=ケニア)が持つ世界記録(2時間20分47秒)のラップタイムを上回る走りっぷり。後半のペースダウンで快挙達成こそ逃したが、頂点の座は時間の問題だ。

 歴史はバンコクでつくられた。しゃく熱の太陽の下、間違いなく世界を震撼(しんかん)させる快記録。テープも用意されていないゴールに、両手を高々と掲げ高橋が飛び込んだ。「ゴールテープなんかいいんです。報道陣の方をテープだと思って走りました。それで私には十分です」。とても42・195キロを走り抜いたとは思えないほど生気に満ちあふれ、笑みを浮かべてケロリと言い放った。

 楽しても勝てる。顔触れを見れば容易に分かる。だが、自分の信念を曲げなかった。「私を見ている人、支えてくれる人を熱くさせる走りをしたいんです」。前日の決意表明を有言実行した。スタートから10歩で、もうトップの座はゆるぎなかった。200メートルで独走態勢になった。5キロでは後続に500メートルの差をつける。世界記録という、夢への挑戦の始まりだった。

 10キロ付近で右折すると、あとはアップダウンもなくカーブも少ない単調なコース。10キロ手前で犬が横切り、18キロ付近で亀が路上を徘徊するハプニング?を除けば何のアクセントもない。スタート時25度の気温はグングン上昇していく。条件は最悪だった。

 20キロを過ぎても世界最高ラップを46秒、半分を過ぎた25キロでは1分以上も上回った。世界最高か…。そんな夢を打ち砕いたのが、やはり暑さだった。30キロ手前で気温が30度、正念場の35キロ付近から32度まで上がりペースダウン。35キロから40キロまで18分33秒を要したのが致命傷となり、夢はついえた。

 世界最高にジャスト1分差。だがロルーペの記録をはじめ、昨今の女子マラソンの世界上位記録は「ラビット」と呼ばれる男子のペースメーカー付き添いの下で生まれている。たった一人でレースを組み立て、事実上の「夏マラソン」を考えれば、限りなく世界最高に近いといえる。

 ランニングパンツの右下には小出義雄監督(59)からの、左下には友人からもらったお守りを縫い付けて走り抜いた。開会式に先立ってフアマーク競技場で行われた表彰式。約6万人の観衆に、プレゼントされた大会マスコット「チャイヨー」の縫いぐるみを振ってこたえた。「夢じゃないかと思うぐらい。中学のころからどんな小さなメダルも喜んでくれたおばあちゃんに、金メダルをかけてあげたい」。

 来年8月の世界選手権(スペイン・セビリア)の代表の座も確定。そこでもメダルを取りシドニーキップを手にし、最後は五輪表彰台の頂点へ…。「機会があれば、また(世界記録に)挑めたらいいですね」。昨年まではほとんど無名の存在だった高橋の、サクセスストーリーは序章を終えたばかりだ。

 ◆宗茂・日本陸連シドニー五輪強化特別委員会長距離・マラソン強化部長の話 高橋は2時間20分前後の力はあると思っていた。今、世界で一番強いと思う。次は世界で初めての2時間19分台を目指すのでは。このタイムが出て、何人の選手が自分の時代は終わったと思ったかな。マラソンの歴史を変えるレースだったと思う。

※記録と表記は当時のもの