誤解を恐れずに言えば、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)が開かれたのは、強化側のエゴだった。すべては20年東京五輪で結果を残せる者を選ぶため。その熱意は裏を返せば、人気を支えてきた既存の大会から「五輪代表が選ばれる」というアメを少なくすることでもあった。“興行”は二の次だった。

しかし、どうだ。MGCはPR事務局の発表で52万5000人が集まった。もちろん、たまたま通り掛かった人もいるだろし、盛られている可能性もあるが、多くの人が沿道を埋めたのは事実。有馬記念だって観客は10万人だし、客席に限りはあるが、甲子園決勝だって4万5000人だ。もちろん新規オープンしたラーメン店よろしく、目新しいものは中身に関係なく、人を呼ぶ。とはいえ、これだけの数字は歴史的だ。

MGC後の会見で、日本陸連の尾県専務理事は「MGCは大成功」とした上で、その最終的な評価は「東京五輪の男女マラソンを終えた後にされると考えています」と言った。盛り上がった祭りほど、終わった後の空虚感も大きくなる。秋からのマラソンがどこまで盛り上がるかは不透明だ。五輪出場は1枠残るとはいえ、そのハードルは男子が2時間5分49秒、女子は2時間22分22秒以上と極めて高い。直球で言うと、怒られるかもしれないが、記録が出にくい、女子のさいたま国際、男子のびわ湖毎日は、五輪を本気で狙う選手なら出ない。例年の盛り上がりを期待するのは酷だ。

とはいえ、見てる側として、本当に心躍った。なぜなら初めての真の日本一を決めるレースなのだから。今までは有力選手は分散し、みなが同じスタートラインに立つことはなかった。大迫傑と設楽悠太、前田穂南と鈴木亜由子もMGCが42・195キロの初対決だ。実はマラソンにも日本選手権は存在する。男子なら福岡国際、東京、びわ湖毎日で持ち回りをしている。ただ、それは形だけ。選手は「日本選手権だから」と大会を選ばない。

「優勝候補を蹴散らしたスパート」「厳しい立場からの驚異の再浮上」「クールな王様がガムシャラに腕を振る姿」。その歴史的な三つどもえの激闘も“一発勝負”だからこそだろう。人生を懸けるような緊迫感は、複数選考会という次のチャンスがある状況では生まれない。その明快さは、選考の公平性を維持するだけでなく、名場面を生み出す舞台装置になる。

言うまでもないが、競技のファンがあってこそ成り立つ。この戦いが何万人の心を揺さぶったか-。陸上界にとって、この上ないレガシーになったはずだ。MGCが発表されてから、日本記録は2度も塗り替えられた。強化の指針も間違っていない。世界で戦えれば、もっと輪は広がる。もちろん既存の大会、そして世界選手権まで“犠牲”にしたことは分かっている。しかし、あの緊迫感、感動がもう見られないのは悲しい。4年に1度だけでも一発選考は続けるべきだと思う。【陸上担当・上田悠太】