魂の激走で、東京オリンピック(五輪)へ大きく前進した。松田瑞生(24=ダイハツ)が日本歴代6位となる2時間21分47秒で2年ぶり2度目の優勝。日本陸連が定める派遣設定記録2時間22分22秒を突破し、残り1枠だった代表の最有力候補となった。

3月8日の名古屋ウィメンズで、松田のタイムを上回る選手がいなければ、代表に内定する。昨年のマラソングランド・チャンピオンシップ(MGC)で4位に沈んだ後、自信を喪失した時期もあったが、母の叱咤(しった)激励で強さを取り戻した。

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万雷の拍手がスタジアムにこだまする。右手を高々と突き上げたまま、松田はフィニッシュテープを駆け抜けた。視線の先には山中監督、母明美さんが泣きながら、大喜びしていた。泣いた姿など見たことない。感情が込み上げてきた。抱き合い、喜びを分かち合った。「うそでしょ。うれしい。言い方は悪いが、(他選手は)眼中になかった。自分に集中していた」。自己ベストより1秒早い、2時間22分22秒の派遣設定記録を35秒も上回った。

セオリーとは違う。超強気の姿勢で押し切った。一般的に集団では後方でレースを進めた方が、無駄な力を浪費しない。しかし松田はペースの変動、風の抵抗など不利が多い隊列の最前列、ペースメーカーのすぐ後ろに位置した。理由は「(練習で)ペースメーカーの斜め後ろにベタ付きなんで」と笑う。中間点通過は1時間9分54秒の超ハイペースだった。もちろん苦しかったが、東京五輪を逃した悔しさに比べたら取るに足らない。「走ってなんぼの世界」と月間1300キロ走り込んできた自信も糧に、31キロ付近で仕掛けた。「口が悪い」と冗談めかした地元大阪の声援も力になる。2時間21分台の自己記録を持つベレテを置き去った。レースを引っ張り、展開を支配したところは、記録以上の強さがあった。

MGCは4位に沈み、東京五輪が遠ざかった。号泣した。懸ける思いが強かった分、気持ちが切れかけた。「もう辞めよう」。そうも思った。持ち前の明るさを取り戻してくれたのは、痛烈な母の一言だった。

「辞めるなら、とことんつぶれたらエエねん。日本新記録を狙いなさい」

心のどこかで期待していた慰めの言葉などではない。逆に突き放す言葉に目が覚めた。東京五輪はもちろん、その先の2時間19分12秒を照準にした。「日本記録を目指していたからこその結果。でも日本記録を出さないと世界のトップレベルとは戦えない」。少し悔しい感情も交錯していた。

バキバキの腹筋が代名詞で「腹筋女王」の異名を持つ生粋の大阪人が、東京五輪に大きく近づいた。その思いを聞かれると、「最後まで待ちたいと思います。笑顔を武器に、腹筋を武器に頑張ります。松田瑞生ここにありという走りを見せたいです」。日本実業団連合からの報奨金1000万円も手にした。あとは名古屋ウィメンズの結果を待つだけだ。【上田悠太】

<松田瑞生(まつだ・みずき)アラカルト>

◆誕生日 1995年(平7)5月31日

◆出身 大阪市住吉区

◆経歴 大阪市立大和川中→大阪薫英女学院→ダイハツ。大阪薫英女学院時代には3年連続で全国高校女子駅伝に出場

◆モットー 「やる気! 根気! 元気! 瑞生!」

◆愛称 「腹筋女王」。体が反る悪癖を修正するため、大阪薫英女学院高時代から10種類以上、毎日腹筋500~1500回を行う。毎朝、鏡の前での腹筋チェックは欠かさないとか。

◆性格 「目立ちたがり屋」。女子1万メートルで出場した17年世界選手権(ロンドン)では果敢に先頭集団で勝負。理由を問われ、ハイテンションで「テレビにいっぱい映りたいじゃないですか? だから映れるところに行こうと最初に勝負かけました」と大笑い

◆ネイル 試合時だけ塗る。この日は赤、黄色、緑など「カラフル」。これは制覇した17年、18年日本選手権女子1万メートルの時と同じ験担ぎだった。これで「3戦3勝」の最強カラーに

◆好きな食べ物 すし

◆身長 158センチ